お客様サポート窓口の、一年
三秒だった接客が、三分になった

オオツカミノル(55歳・元高速道路料金所収受員)

ブースが ETC 専用になって、私は「お客様サポート」という窓口に異動になった。インターチェンジの事務所の一角、ガラスの仕切りの内側だ。三十年やった三秒の接客は、もうない。代わりに、ここでは一人のお客様に三分かける。三秒で人生を読んできた私が、五十五歳でまた新人になった。窓越しの三秒も、机越しの三分も、同じ接客なのだと思う。

窓口の高さは、ブースより低い。ブースの窓は運転席の高さに合わせて作ってあったから、私はいつも見上げるか、見下ろすかしていた。事務所のカウンターは座った人の胸の高さで、お客様も私も椅子に座る。目の高さが、同じなのだ。三十年、目の高さの合う相手と話したことが、仕事の中で一度もなかったことに、ここへ来て気づいた。

いちばん多いのは、ETC カードの差し忘れだ。出口のバーが上がらず、インターホンで呼ばれて、車はそのまま事務所まで案内される。お客様はカウンターの前に立って、たいてい少し怒っている。差し忘れたのは自分なのに、機械に裏切られたような顔をしている。私は精算機の操作画面を相手に向けて、入った場所と出る場所を指でなぞって見せる。料金が出る。現金で払う人が、ここでも多い。

ブースにいたころ、私は現金客のことを「ETC を付けていない人」としか思っていなかった。付けない理由なんて、考えたこともなかった。三秒では、理由は窓を通らない。けれど三分の窓口では、理由のほうから入ってくる。「カードの審査が通らんでね」と笑う人がいる。「会社の精算が現金じゃないと面倒で」と領収書を二度確かめる人がいる。「機械に任せると、なんか取られとる気がして」と真顔で言う年寄りもいる。三秒では見えなかった景色が、三分には映る。

通行券をなくした人の処理は、伝票がいる。再発行の伝票に、入った料金所と時刻、ナンバー、それから運転免許証のコピーを添える。免許証をお預かりしてコピーを取るあいだ、お客様は黙ってカウンターの向こうで待っている。その数十秒が、私にはまだ慣れない。三秒なら、待たせるという感覚そのものがなかった。沈黙を埋める言葉を、私はまだ持っていない。

道を訊かれることもある。「この先の◯◯まで、下道でどう行くの」。私はインターの周りの道なら分かるが、その先は分からない。分からないと言うと、お客様はがっかりした顔をする。ブースなら、分からなくても車はもう走り出していた。窓口では、分からない顔を、三分のあいだ見ていなければならない。新人というのは、こういうことだ。知らないことを、相手の目の高さで知らないと言う仕事だ。

異動の前に、二日間の研修があった。ロールプレイというやつで、若い社員がお客様の役をやる。私が窓口役で、彼が差し忘れの運転手役だ。台本には「お客様の不安に寄り添い」と書いてあった。寄り添う、という言葉が、私にはどうにも据わりが悪かった。三秒の世界に、寄り添うという動詞はなかった。あったのは、トレーを出す高さと、釣り銭を渡す手の向きだけだ。私は台本のとおりに「ご不便をおかけしました」と言った。言いながら、これは「ありがとうございま」より長いな、と思った。

三分の会話を、どう終わらせるか。これがいちばん難しい。三秒なら、車が走り出して勝手に終わった。終わらせ方を、私は一度も覚える必要がなかった。窓口では、精算が済んでも、お客様はすぐには立たない。レシートを財布にしまい、免許証を戻し、それから「どうも」と言って、ようやく背を向ける。その「どうも」を待つあいだ、私は何を言えばいいのか、まだ分からないでいる。三秒の技術と、三分の技術は、たぶん別のものだ。

それでも、と思う。差し忘れに怒っていた人が、画面の説明を聞くうちに少しずつ表情をゆるめて、帰りぎわに「あんたが居てくれて助かった」と言って出ていく日がある。あの一言は、三秒では受け取れなかった。窓越しの三秒も、机越しの三分も、結局は同じ接客なのだ。長さが違うだけで、人を見るという仕事の芯は、何も変わっていない。私はいま、五十五歳の新人として、もう一度それを学び直している。

——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。

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このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。