オウミナギサ(27歳・海女7年)
夏のアワビとサザエの季節が終わると、私たちの磯は別の顔になる。冬は、ナマコの季節だ。同じ海なのに、夏とはまるで違う海のように感じられる。冬の海の青は、夏の青より深く、どこか澄みきった寂しさをたたえている。今日は、そういう冬の海女漁のことを書こうと思う。
冬の海は、とにかく冷たい。その冷たさは、言葉では言い表せないほどのものだ。ウェットスーツを着ていても、冷たさは容赦なく体に染み込んでくる。夏なら何時間でも入っていられるが、冬はそうはいかない。ウェットスーツにも限界というものがあるのだろう。長くは潜っていられない。海の冷たさの本番は、やはり冬なのだと思う。
冬の漁は、夏とは目の使い方が違う。夏のアワビは岩場にいて、岩の色とほんの少し違う殻のふちを見分ける。けれどナマコは砂地にいる。砂の上に転がっているのを、砂の模様の中から探し出す。岩を見る目と、砂を見る目は、別のものだ。私はまだ、砂を読む目に慣れきれていない気がする。
ナマコを見つけたら、手で掴んで、網袋に入れる。アワビのようにはがす道具は要らない。ただ掴むだけだ。けれど冬の冷たい海の中で、かじかんだ手で掴むのは、思っているより難しいのかもしれない。網袋に入れていく作業を、何度も何度も繰り返す。
冬の潜水は、一回が短い。冷たさで長くは潜れないから、短い潜水を数多く繰り返すことになる。体力の配分が、夏とは違う。夏は一回をじっくり潜るが、冬は短く何度も。だから冬は冬で、別の体の使い方を覚えなければならない。海女は、季節に合わせて体を変えていく仕事なのだと思う。
冬の海は、夏より澄んでいる。プランクトンが少ないからだろう、水の透明度が増して、青がいっそう深く見える。その青の美しさは、冷たさと引き換えに海がくれる贈り物のようなものだ。冷たい海の底で見上げる青い光は、何度見ても胸を打つ。自然の美しさの前で、私はいつも言葉を失ってしまう。
浜に上がると、ナマコの加工が待っている。茹でて、干す。腸を取り出して塩をして、このわたにする。卵巣を干せば、くちこになる。冬の海女の珍味は、こうした手仕事から生まれる。一つひとつ、丁寧に手をかけていく。手間のかかる仕事だけれど、その手間が、冬の磯の味を作っているのだと思う。
冬の海女小屋の火は、何ものにも代えがたい。冷えきった体を、火が少しずつ戻してくれる。一年のうちで、火の有難さが最大になるのは、間違いなく冬だ。火を囲んで、かじかんだ手をかざしていると、生きているという実感が、じんわりと体に戻ってくる。
夏の海と冬の海は、同じ磯なのに、まるで別の顔をしている。アワビの夏と、ナマコの冬。岩を読む目と、砂を読む目。長い一回と、短い何度も。その両方を行き来しながら、私の一年は回っている。同じ磯の別の顔が、私の一年なのだ。冬の海の青を見上げながら、私はいつもそう思う。
——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。