時化の、浜(第二稿)
海が出してくれない日のこと

オウミナギサ(27歳・海女7年)

海女は、自分で休みを決められない。出るか出ないかは、朝、浜に立って海を見て決まる。私が見るのは三つ。波が膝までか胸までか、白く崩れるのが沖か手前か。水が、岩のきわまで澄んでいるか茶色く濁っているか。風がどっちから吹いているか。陸から海へ抜ける風なら波はじき収まる。海から陸へ向かう風だと、波は浜に溜まる。

この朝、波は胸まで来ていて、崩れるのは手前だった。私はまだ迷っていた。隣でスミさんは、浜に立って一度海を見ると、もう小屋のほうへ歩き出していた。波が手前で崩れるということは、底の砂が巻き上がっているということだ。入っても何も見えない。スミさんは波の高さではなく、崩れる場所を見て決めていた。私が迷う一拍を、あの人は迷わない。

出ない日でも、浜には仕事がある。網袋の繕い。袋はナイロンの太糸で編んであって、サザエの棘と岩のきわで擦れて切れる。曲がった繕い針に糸を二本どりで通し、切れ目の両側を寄せて、波形に縫って戻す。一枚に二十分。三枚も繕うと昼になる。磯メガネは、ガラスの内側にヨモギの葉を揉んでこすりつけ、海水で流す。これで曇らない。市販の曇り止めより、ヨモギのほうが長くもつ。

薪も割る。次に入る日、冷えた体を温める火が要る。一日の漁で、私の体を戻すのに薪は四束ほど。出ない日に十束割っておけば、二日半ぶんになる。斧を振るうと、繕いで縮こまっていた肩がほどける。

若い人ほど、出たがる。波が胸まででも、行けると思う。獲れ高がそのまま暮らしだから、一日が惜しい。スミさんは止める。「今日はやめとけ」。あの人がそう言うのは、波の高さでではなく、崩れる場所と濁りで言っている。事故は欲が呼ぶ、と一度だけ聞いた。底が見えない海で、いつもの岩へ無理に潜った人の話だった。それきり、その名前は小屋で出ない。

時化が明けても、すぐには入れない。巻き上がった砂が底に落ちて、水が岩のきわまで澄むのに、夏で二日、冬だと三日。私たちの漁は、岩の色とほんの少し違うアワビの殻のふちを見分ける漁だから、濁りが残るうちは潜っても無駄だ。波が静まった翌朝、浜から海を見て、沖の色が青に戻りはじめていたら、明後日には入れる。

時化は、海藻を浜に積む。引きはがされたワカメとアラメが、波の届かない高さまで上がっている。拾って、真水で砂を落とし、浜の柵に掛けて干す。三日干せば、冬のあいだの味噌汁の実になる。売るほどの量ではない。放っておけば腐って、浜じゅうが磯くさくなるから、出ない日に拾うのは、繕いや薪と同じ、浜の仕事のうちだ。

獲れ高は帳面につける。日付、場所、アワビ何枚サザエ何個、潮、それだけ。去年の二月、時化が八日続いた。その月の手取りは六万にならなかった。凪の続いた六月は、同じ帳面で二十万を超えた月がある。だから出られる日に多めに獲って、出られない月のために回す。海女の暮らしは、この帳面の上で平らにならしている。

出ない日、私は浜で帳面を見返している。去年の同じ時化のあと、濁りは何日で落ちたか。風が北西に回ってから、何日で出られたか。海を見て、帳面を見て、明後日かと見当をつける。スミさんはもう小屋へ入った。私は浜に残って、まだ崩れている波の、崩れる場所を見ている。

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このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。第一稿への辛口レビューを経て書き直した第二稿です。