オオゾネツバサ(27歳・消防設備点検員7年)
消防設備の点検は、建物の中の機械を順番に鳴らして回る仕事だ。鳴らして、止める。消火器の針を見て、誘導灯のボタンを押し、避難ハッチを開ける。点検中、私はほとんど誰の目にも入らない。作業着で机のあいだを抜けても、顔を上げる人はいない。例外は、ベルを鳴らす数秒だけだ。
二〇一九年、二十歳でこの会社に入った。最初の現場は五階建てのオフィスビル。点検の前に館内放送が入る。「点検のためのベルが鳴ります。火災ではありません」。断ってから鳴らす。その順序を、先輩は何度も念を押した。長く鳴らすな、と。苦情は鳴った時間ではなく、止まらない不安から来る。だから点検のベルは、短い。
初めて発信機を押した。鳴った。フロア中の頭がいっせいに上がって、ベルのほうへ、私のほうへ向いた。キーボードが止んだ。私は数を数えていた。先輩が復旧をかけるまで、四秒。記録には鳴動四秒と書く。音が止むと、上がっていた頭がまた一つずつ画面へ落ちていった。私はまた、誰の視界からも消えた。
消火器の前にしゃがむ。まず本体の底の刻印を見る。製造年。古いものは外側が錆びていなくても、中で腐食して破裂することがある。年式で落とす。それから圧力ゲージ。針が緑の帯にあるか。安全栓の封が切れていないか。ホースに亀裂はないか。緑の針は、見るべきものの最後の一つでしかない。
天井の差動式感知器には、加熱試験器を当てる。棒の先のカップから熱を送り、規定の温度上昇に対して何秒で作動するかを計る。早すぎても、遅すぎても、不良だ。脚立の上で天井を見上げ、棒を伸ばし、心の中で秒を数える。三十秒を超えたあたりで、カチ、と作動表示が点く。間に合った。この「点く/点かない」を、誰もいない天井の下で、ひとり待つ時間が、点検のいちばん長い数秒だ。
ベランダの避難ハッチは年に二回しか開けない。蝶番が渋い。引き上げると、長く眠っていた金属が低く鳴いた。中で梯子が折りたたまれている。下まで伸ばし、ロックを確かめ、また畳んで蓋を戻す。これが本当に使われる日は、誰かが助かる日であると同時に、誰かが逃げる日だ。来ないほうがいい。それでも、来たときに動かなければ意味がない。
昼、先輩が点検済シールに油性ペンで日付を入れていた。私が貼り方を訊くと、先輩は手を止めずに言った。「これはな、『見ました』じゃない。『動きます』だ」。報告書の不良欄に、先輩は「誘導灯B 内蔵電池不良 要交換」とだけ書いた。気持ちは書かない。直せる言葉だけを書く。動くと言い切れないものに、言い切れない理由を、短く残す。
七年たった。普段、私は透明だ。ビルの中を歩いても誰も振り向かない。私が人に見られるのは、ベルを押した数秒だけ——全員がいっせいにこちらを向く、あの数秒だけだ。鳴らして、止めて、また透明に戻る。出番が来ないことを祈られている機械を、出番が来るかどうか、私が確かめる。鳴らないことが正解の機械の前で、私はいつも、鳴ったときのことを考えている。