オオゾネツバサ(27歳・消防設備点検員7年)
消火器には期限がある。設計標準使用期限といって、おおむね十年。本体の側面に貼られたラベルに、製造年と使用期限が刷ってある。私の仕事の半分は、建物の隅に立っている赤い筒の前にしゃがんで、そのラベルの年を読むことだ。窓の外には秋の柔らかな陽が差していて、点検の鞄の中で、交換を勧める書類が静かに出番を待っている。
古い雑居ビルの一階、小さな食堂を点検したときのことだ。厨房の脇に置かれた消火器のラベルは、もう日付の判読が難しいほど黄ばんでいた。製造年を確かめ、圧力ゲージを見る。針が緑の帯から右へ外れていた。過充填か、あるいは中で何かが起きている。私は交換が必要ですと告げた。すると店主が、当然のように訊いた。「一度も使ってないのに、買い替えるんですか」。
その問いは正しい。使っていない道具を捨てるのは、誰だって惜しい。私はいつも同じことを答える。使われなかったことと、使えることは、別なんです、と。十年のあいだ、誰も触らなかった。それは幸福なことだ。けれどその十年で、圧力は少しずつ静かに抜けていく。中の薬剤は、湿気を吸って底のほうから固まっていく。いざ握ったとき、粉が出てこない消火器は、ただの赤い筒だ。
固化の確認は、本体を逆さにして振ってみる。新しいものは、さらさらと砂のような音がする。古いものは、ごとり、と鈍い。底で固まった薬剤の塊が、内壁にぶつかる音だ。その音を聞き分けるのは、耳ではなく、たぶん手のほうだ。何百本と振ってきた手が、軽い違和感を先に拾う。ごとり、と来たら、もうその一本は終わっている。
期限切れの消火器は、ただ捨てられるわけではない。中の薬剤は再利用され、本体の鋼材もリサイクルに回る。回収のルートが決まっていて、引き取った一本一本にリサイクルシールを貼る。ホームセンターで買った家庭用の消火器も、捨て方が分からないまま持ち込まれることがある。台所の下で十年眠っていた一本を、紙袋に入れて、おそるおそる差し出す人。あれをどう受け取るかが、たぶん大事なのだと思う。
設置位置は図面で決まっている。歩行距離二十メートル以内に一本。だから建物の隅、柱の陰、階段の踊り場に、消火器は等間隔で立っている。久しぶりに動かす一本の天面には、埃が積もっている。十年分の埃だ。それは、十年のあいだ誰もこの一本に触らなかった証拠だ。私はその埃を、悪いものだとは思わない。誰も火事に遭わなかった、という静かな記録なのだから。
一度だけ、使われた後の消火器を見たことがある。小火を出した飲食店の、空になった一本。持ち上げて、驚いた。軽いのだ。粉を全部吐き出した筒は、こんなにも軽い。使った人が言った。「夢中で、レバーを握ったのも覚えてない」。十年立ち続けて、最後の数秒で空になった。その軽さは、役目を果たした軽さだった。私はその一本を、いちばん丁寧に台車へ積んだ。
普段、消火器は風景だ。赤いのに、誰の目にも入らない。私はその風景の前にしゃがんで、ラベルの年を読み、ゲージの針を見て、逆さにして振る。鳴らない非常ベルと同じで、消火器もまた、使われないことを祈られている機械だ。けれど使われなかった十年に意味があるのだ。埃が積もるほどに、その建物は幸福だったのだ。私はその幸福の期限を確かめて、そっと新しい一本と入れ替える。たぶん、それが私の仕事のいちばん優しい部分なのだと思う。
——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。