オオゾネツバサ(27歳・消防設備点検員7年)
建物の中の機械は、ほとんどが眠っている。非常ベルも、消火器も、出番が来ないことを祈られて、暗がりで静かにしている。けれど一つだけ、いつも起きている灯りがある。誘導灯だ。営業中も、閉店後も、停電でも、あの緑は点いている。消えないことが、その機械の仕事なのだ。
夜のオフィスビルに入ると、世界は二つの灯りに分かれている。窓の外の街明かりと、廊下の天井に点る緑。蛍光灯はすべて落ちて、机の上のモニターも黒い。人の気配が抜けた無人のフロアで、誘導灯だけが、まるでこの建物の寝息のように、静かに緑を吐き続けている。私はその下を、点検の棒を提げて歩く。
点検では、誘導灯の下にあるボタンを押す。押すと外部電源が切れて、中の小さなバッテリーだけで点くようになる。停電を、人工的に起こすのだ。緑が一瞬ふっと暗くなり、それから自前の電気で点き直す。この切り替わりの瞬間が、私は嫌いではない。建物が一度だけ、自分の力で立ってみせる瞬間だからだ。
バッテリーで点いている時間を計る。規定の時間、ちゃんと点き続けられるか。やがて年数が経つと、点いていても輝度が落ちてくる。新品の隣に並べれば一目で分かる、くすんだ緑。人の目には「点いている」に見えても、基準の明るさを割っていれば、それは不良だ。煙の中で道を示すには、暗すぎる。交換する。
誘導灯のピクトグラムは、緑の地に白い人が走っている。あの人型には向きがある。右へ走っているのは「出口は右」の意味で、左なら左だ。だから廊下の角ごとに、走る人の向きはくるりと変わる。設計者は避難経路を逆算して、人が迷わないように一つずつ向きを決めた。緑の人は、いつも正しい方向へ走っている。
点検のとき、私は壁の避難経路図と、天井の誘導灯を照らし合わせる。図の上の経路を指でなぞり、その通りに灯りが続いているかを確かめる。そして実際に、緑を辿って歩いてみる。一つ、また一つ、走る人を追っていくと、必ず外に出る。当たり前のことだが、当たり前であることを確かめるために、私は歩く。誘導灯を辿れば、人は必ず助かるのだ。
映画館も点検する。上映中の暗闇の中で、許される光は二つだけ。スクリーンと、足元と通路の誘導灯だ。あの場所では誘導灯にも調光形というものがあって、暗転に合わせて少し輝度を落とせる。真っ暗な客席で、緑だけがそっと灯っている。観客は誰一人それを見ていない。けれど、見ていないでいられることが、安全ということなのかもしれない。
交換した古い誘導灯を、私は何度も手にしてきた。外して台車に積むと、それはもうただのプラスチックの箱だ。何年も、誰にも見られず、ただ緑を点し続けた箱。役目を終えた灯りは、なんだか少し寂しそうに見える。けれど考えてみれば、一度も非常時に使われなかったということは、その建物が幸福だったということでもある。
普段、誰も誘導灯を見ていない。緑の灯りは、ある意味で世界に溶けて、なかったことになっている。けれど停電のあの一度だけ、明かりが全部消えたその瞬間に、フロア中の全員がいっせいに同じ灯りを探す。緑のほうへ。消えない緑こそが、この建物の良心なのだと思う。私はその良心が確かに灯ることを、誰もいない天井の下で、ひとり確かめている。
——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。