フジワラレン(研究助手)
『坊っちゃん』を読み返していて引っかかるのは、「君」が親称にも中立にも落ち着かない点である。赤シャツは名を呼ばない。相手を正面から立てる敬語にも進まない。その半端な呼び方のまま、誘いの文だけをきれいに差し出す。ここでは釣りの話より先に、相手をどう受け取るかが決まってしまう。呼びかけが、用件の前に置かれているからだ。
君釣(つ)りに行きませんかと赤シャツがおれに聞いた。
この一文の妙なところは、「君」と「行きませんか」が同居しているところにある。命令ではないのに、対等でもない。丁寧さが摩擦を消すのでなく、相手の逃げ道を細くしている。断れば、ただの誘いを断った以上の響きが出る。坊っちゃんが赤シャツに感じるいやらしさは、人物評だけでできているのではない。呼びかけが先に距離を決め、そのあとで内容が入ってくる。その順番に、すでに細工がある。
母が大層怒(おこ)って、お前のようなものの顔は見たくないと云うから、親類へ泊(とま)りに行っていた。
同じ作品の「お前」は別の角度できつい。ここでは相手を従えるのでなく、家の内側から切って捨てる語になっている。「君」は近づきながら縛り、「お前」は近さそのものを刃にする。差が出るのは語の辞書的意味ではない。何と呼ぶかが、文の入口で相手の立場を決めてしまうからだ。
この感触は、現代のビジネスメールでも消えていない。むしろ露骨な二人称を避けた場所で残る。たとえば催促の文で「ご担当者様、ご確認のうえ本日中にご返信ください」と書かれるとき、名指しを避けた形のはずなのに、受け手は逃げにくい。個人名がないぶん、担当である以上は応じるべきだという圧だけが残るからである。「あなた」は退いたが、その穴を埋めた「ご担当者様」が無害になったわけではない。
『坊っちゃん』の「君」は、親しげな入口で相手の位置を決める。現代メールの「ご担当者様」は、丁寧な外形で責任の宛先を固定する。違うのは肌ざわりだけで、呼び名が先に置かれ、あとから用件が来る順番はよく似ている。だから怖いのは罵声ではない。感じのよい呼びかけのほうである。本文に入る前に、もう言い返しにくい形ができている。