レイゼイハク(60歳・煙突工38年)
煙突に登る仕事を三十八年やってきた。点検して、傷んだところを直して、もう使わないと決まったものは壊す。地上から見上げると、煙突はどれも同じ灰色の筒だ。中に入った人間だけが、一本ずつ違うのを知っている。
一九八八年、二十二歳で入った。半年は登らせてもらえなかった。ステップボルト——煙突の外側に埋まったコの字の鉄足場——の錆を磨き、安全帯の縫い目を点検する日が続いた。登る者の体重を、自分の磨いた鉄に預けさせる。だから新入りはまず、預けられる側の手入れから覚える。
初めて中に入ったのは、製紙工場の古い煙突だった。点検口の縁は、外気で冷えていた。親方は私に安全帯を二重に掛けさせ、自分が下で命綱を握り、私を先に入れた。中が見えるのは先頭だけだ。試すというより、お前が見たものを下に伝えろ、ということだった。外は晴れていたのに、中は夜だった。
懐中電灯の輪の中に、内壁の煤が浮かぶ。一様に黒いと思っていた。違った。片側が厚く、反対側が薄い。私が「片側だけ煤が厚いです」と言うと、下から親方の声がした。「どっち側だ」。南西、と答えた。「この辺は冬、南西から吹く。煙突は外から見るな。中から見ろ。煙の通った跡に全部書いてある」。煤の偏りは、風の偏りだった。
頂部に出ると、安全帯が風で鳴る。地上では聞かない高さの音だ。足の裏は縁の鉄を通して、その日の気温を伝えてくる。避雷針の付け根の錆を指で確かめ、航空障害灯の赤い球が切れていないかを見て、緩んだボルトの番手を覚えて下りる。眺めはあった。だが眺めている暇はない。ここは職場だった。
煤落としは、いちばん黒い仕事だ。防塵マスクをつけて内壁を掻く。マスクの中では、自分の呼吸の音だけが大きい。重油を焚いていた煙突の煤は脂っぽく光り、木屑を燃やしていた煙突の煤は粉になって舞う。掻いているうちに、その工場が何を食わせてきたかが指に分かる。外に出ると、目だけ白い顔がガラスに映った。
解体もやった。重機の届かない高さの煙突は、上から手で壊して下ろす。手壊しという。煉瓦を一個ずつ外し、籠で地上へ送る。最後の一段に手をかけたとき、私の手は止まった。何十年も煙を通した筒が、いま空気を一度だけ通して終わる。止まったのは一秒だ。外して、籠に載せた。
銭湯の煙突は、この三十八年でずいぶん減った。私が下ろした本数は、たぶん八十は超える。それだけだ。下ろした分、私の指と目には煤の地図が増えた。あの製紙工場の煙突は、冬の南西風を片側だけで食っていた。三十八年たっても、それを覚えている。直した字は覚えていない。覚えているのは、読んだ煤のほうだ。