タケウチソウタ(高校生)
履歴書には、書く欄がある。学歴、資格、志望動機。そこに線を引くみたいに、時間を整えて並べていく紙だ。けれど、整わない時間もある。短すぎて職歴にしにくい仕事、説明すると長くなる退職、働いていなかったわけではないのに空白に見える時期。そういうものは、四角い欄の外で形を失う。失ったように見えて、実際には消えていない。見えなくなっただけで、体には残る。
たとえば「自己都合により退職」という一行は、便利で、冷たい。読む側に余計な情報を渡さず、書く側にも言い訳を求めない。けれど、この一行の裏には、ひとつの都合では片づかない事情が折り重なっている。店長の怒鳴り声に慣れてしまったこと、シフトを減らす相談が一度で通らなかったこと、教わっていない失敗まで自分の責任になったこと。家の事情で深夜に入れなくなった人もいるし、教室に戻るだけで精一杯だった人もいる。退職の理由は、きれいな名札をつけられるほど単純じゃない。
高校生の自分にとって仕事は、まだ「社会経験」という言葉でまとめられがちだ。でも、働くことは、そんな明るい表札だけで済まない。レジの前で笑っていても、休憩室でスマホを握る手が止まらない日がある。新人という札をつけたまま、急に現場の穴を埋めさせられる日もある。辞めたときに残るのは、達成感だけじゃない。次の応募で、その店名を書くか迷う感じ、面接で聞かれたらどこまで話すか考える感じ、何もしていなかった人みたいに見られるのが嫌で、先に目をそらしてしまう感じだ。
「書かなかったこと」は、「なかったこと」ではない。
履歴書の空白期間も同じだ。紙の上では何月から何月まで何もない。でも、その間にしていたことは案外多い。朝起きる練習をしていた人がいる。家計のために単発の仕事をつないでいた人がいる。落ちた面接のメールを消せず、求人サイトを閉じる回数だけ増えた人がいる。外から見れば空白でも、内側では毎日どこかが削れて、どこかを守っている。空白は、怠けた証明ではなく、説明の形式を持てなかった時間だ。
書けない職歴にも似たところがある。日雇い、友人の紹介、手渡しのバイト、すぐ辞めた派遣。制度の外にあるわけではなくても、正式な経歴として提出するには不安が残る。短さのせいで軽く見える。辞め方のせいで不利に見える。だから隠す。すると今度は、隠した側が後ろめたさを引き受けることになる。社会は経歴を問うのに、その経歴が生まれた現場の荒さや、続けられなかった事情の重さまでは引き受けない。そのずれが、紙の上で静かに個人の責任へ押し戻される。
履歴書は必要だ。限られた情報で人を選ぶ以上、形式はなくせない。ただ、その形式が拾えないものまで、本人の欠陥として処理しない視線は必要だと思う。空白のあいだに何があったか、書かなかった職歴の後で何を避けるようになったか、退職理由を短くしたことで何を守ったのか。そこにあるのは、美談ではないし、失敗談として消費されるための素材でもない。うまく言語化できない時間が、人を鈍らせるだけでなく、見る角度を変えることもある。採用の紙に載らない時間は、評価の外に置かれやすい。それでも、その時間に触れた人の話し方、ためらい方、急に黙る位置には、すでに経歴より先の情報が出ている。
——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。