タケウチソウタ(高校生)
一月の終わり、母は同窓会の近況ハガキだけを輪ゴムでまとめて持ってきて、食卓の端に一枚ずつ離して置く。しょうゆ差しの横、麦茶のコップの輪染みが残った場所に、青やえんじの紙が急に整列する。母は老眼鏡を鼻にずらし、差出人の名字を一人ずつ読んでいく。私が今年いちばん長く見たのは、写真のない一枚だった。
表は干支の判子だけ、裏には黒いボールペンで五行。「昨年、長男が中学に入りました。私は市内で異動しました。慌ただしい毎日ですが元気にしています。」下に小さく「返信不要」とある。母はその字を見て、「この人、急いで書いたんだろうね」と言った。祝い事が並ぶ束の中で、その一枚だけは出来事より先に、机に向かっていた時間の短さが伝わった。近況報告は、起きたことの一覧じゃない。どこで切り上げたかに、その人の今が出る。
その晩、中学の友達から「最近どう」とメッセージが来た。私は机に広げた進路希望調査と、赤い丸が一つ多い数学の小テストを見たまま、「普通だよ」と返した。三秒で既読がついて、「ならよかった」と返ってきた。会話はそこで終わった。便利だったのは「普通」という言葉の短さじゃない。志望校の欄をまだ二つとも空白にしていることを、そのまま消せるところだ。
人は重いことだけを隠すわけではない。自分が削ったのは、もっと小さくて、もっとみっともない場面だ。金曜の放課後、進路室の前の長机で、担任に「第一志望、まだ書けないのか」と言われたとき、私は配られた学校一覧の下半分を折った。私立の偏差値の列を、隣の席のやつに見られたくなかったからだ。あの折り目を、私は「普通だよ」の外に置いた。
「返信不要」は断り文句ではない。 返せないほど切羽詰まっているという意味でも、気をつかうなという愛想でもなく、今出せる厚さはここまでですという線だ。自分の「普通だよ」も同じだった。削った内容より、削ると決めた場所のほうが、その人間をよく表す。私が隠したのは不安そのものじゃない。進路希望調査の第一志望の欄に、まだ何も書いていないという、あの白い四角だ。