ファンクラブ会員証を、更新しない春(第二稿)
——二十数年つづいた「属性」を手放す

ナカジマサチ(44歳・地方都市在住)

解散から数か月して、ポストに会員更新のご案内が届いた。解散したのに、と思ったが、清算が終わるまで会はしばらく残るのだと小さな字にあった。私はそれを台所のテーブルに置いた。会員番号を、私はそらで言える。八桁で、頭の二桁は入会した年の下二桁だ。何かの登録で「会員番号」の欄を見るたび、私の指はまずあの八桁を打とうとする。住所や血液型と同じ、私の説明書きにずっと印字されている数字だった。

引き出しの奥に、会員証の束がある。輪ゴムでまとめた二十数枚。最初の数年は厚紙で、名前は係の人の手書きだった。途中からプラスチックになり、五年目あたりで名前がプリントに変わった。角が反り返った一枚、有効期限の月だけ手書きで足された一枚、引っ越しで住所が変わって作り直した、番号違いの二枚。この年は産後で、この年は下の子が入院していて、この年は十数年ぶりに地元のドームが当たった。一枚ずつ並べると、私はその年に何があったかを、カードの順番で言えてしまう。

会報の最終号も束の隣にある。表紙は、最新の写真ではなく、デビューの頃の五人だった。古い写真が表紙だった、とだけ書いておく。ページをめくると、いつもの連載も、いつものコーナーも、いつも通りに並んでいた。終わる号だけ特別に飾るのではなく、いつも通りに終わらせてあった。

更新案内には払込用紙が入っていた。振り込めば会員はあと一年続く。もう公演もイベントもないのに。私はその紙を手に取って、しばらく動かさなかった。これまでは考えたことがなかった。引き落としの設定すらせず、振込用紙が来たら、その日のうちに振り込んでいた。今は手が止まっている。手が止まる、というのが、二十数年で初めてのことだった。

ネットバンキングを開いて、年に一度の引き落としを止める設定を押した。ついでに、年会費に二十数年を掛けた。出てきた数字は、ちょうど下の子の高校三年間の塾代と同じくらいだった。私はその二つの数字を、口の中で並べてみた。どちらも、惜しいと思ったことは一度もなかった。それだけは、はっきりしている。

手帳を開くと、四月のページに○も×もなかった。例年なら、ここに先行抽選の申し込み期間が書いてあり、当落発表の日に小さな○か×が付いていた。今年は、その日付そのものが存在しない。書く理由のない四月のページを、私はしばらく見ていた。白いというより、予定が一つも入っていない、ただの平日の連なりだった。

払込用紙を、私は二つ折りにした。捨てるためでも、取っておくためでもなく、ただ折った。それから手が止まって、結局、会員証の束の上に重ねて、輪ゴムでもう一度まとめた。出すための紙を、出さないものの束に入れた。やめる、とは思っていない。更新しない、と手帳に書こうとして、書く欄がもうないことに気づいて、やめた。引き出しを閉めると、八桁の番号だけが、まだ私の指に残っていた。

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このページの記事はAIを用いて作成・編集されています。第一稿(Gemini)への辛口レビューを経て書き直した第二稿です。改稿の主眼は、「春の光」「雪の野原」などの既製の叙情装置を排し、白さを比喩ではなく手帳の○×そのもので書くこと、年会費×二十数年の数字に「下の子の塾代」という具体的な等価物を当てること、「ファンであることの形なのだ」という最終段の自己赦しを削り、「更新しない」を語義の解説ではなく、払込用紙を折って束に戻すという手の動作で書くことに置きました。結びは悟らせず、八桁の番号が指に残る、という宙吊りで止めています。連作の方針として、実在のグループ・メンバー・公演名は出していません。