文化財の、注文
百年後にも悪さをしない紙、という注文書

サガラトモヤ(49歳・紙漉き職人27年)

修復士からの注文書には、いつもより細かい字が並んでいる。厚み、簾目(すのめ)の間隔、漉きむらの許容範囲。数字で書けるものは数字で書いてある。そして数字で書けないものが、一行だけ添えてある。「百年後にも悪さをしないこと」。長い時を超えて受け継がれる文化財を、私の一枚が裏から支える——そう思うと、手が少し重くなるような気がした。

修復に使う紙は、絵や古文書の裏に貼る薄紙だ。表に出ることはない。表の絵が百年前のものなら、私の紙はその百年前の絵の、次の百年を引き受けることになる。だから求められるのは厚みの均一だけではない。紙そのものが、時間に対して悪さをしないこと。酸を出さないこと。色を移さないこと。繊維が、ただ純粋であること。

注文を受けると、まずサンプルを漉いて送る。修復士はそれを審査する。中性かどうかを確かめ、繊維の純度を見て、簾目の間隔を測る。私の使う楮(こうぞ)は、皮を剥いだあと灰汁で炊き、流れる水で何日も晒す。塵を一本ずつ手で取る。混ぜ物をしない。漂白の薬も使わない。薬は早いが、薬は百年後に悪さをする。だから水と時間だけで白くする。

指定の中に、簾目の間隔まで書いてあったことがある。一寸あたり何本、と。簾目とは、簀の竹ひごの跡が紙に残す、細い縞のことだ。ふだんは気にも留めない跡を、修復士は測ってくる。元の作品に使われた紙の簾目と、揃えたいのだという。裏打ちの紙が違う表情を出すと、表の絵がそれを覚えてしまう。見えない裏の縞一本まで、百年前に合わせる。そういう仕事だった。

納品の前に、一枚ずつ光にかざす。蛍光灯ではなく、窓の昼の光に。透かすと、漉きむらが雲になって浮く。縁に帯が走っていないか。中心が薄く抜けていないか。塵の影が一つでもないか。検品のあいだ、工房はしんとして、自分の息の音だけが聞こえる。一枚を透かすたびに、息を止めている。十枚透かすと、十回息を止めたぶんだけ、肩がこわばっている。

不採用で戻ってくる紙もある。理由は、たいてい書いてない。「今回は見送ります」とだけある。どこが駄目だったのかは、教えてもらえない。だから自分で見つけるしかない。戻ってきた紙を、もう一度光にかざす。送ったときには見えなかった薄い帯が、今になって見える。あのとき息を止めそこねた一枚だ。教えてもらえないことが、いちばんよく教えてくれる、というのは皮肉なことかもしれない。

去年、海外の美術館から注文書が来た。英語の書類に、私の名と工房の名が刷ってあった。驚いた。和紙が、世界の修復現場の標準品になっているのだという。海を越えた絵の裏に、三河の冬の水で漉いた紙が貼られる。そう聞くと、想像は遠くまで行きたがる。けれど想像をしすぎると、手元が留守になる。だから私は、想像を途中で止める訓練をしている。

百年後に、私はいない。私の漉いた紙が、どこかの絵の裏で、次の百年を支えているかもしれない。それを想像すると、胸が熱くなる。けれど、その想像は私の仕事ではない。私の仕事は、目の前の一枚の厚みを、ただ均一にすることだけだ。遠い時間を思うのではなく、近い数秒を生きる。目の前の一枚だけを考えるのが、職人なのだと思う。

今朝も、サンプルを漉いた。光にかざし、息を止め、帯がないことを確かめて、乾燥板に貼った。答えが出るのは、いつも翌日だ。

——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。

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