簀桁の、波
弟子入り一年目、同じ厚みを漉けと言われるまで

サガラトモヤ(49歳・紙漉き職人27年)

紙を漉いて二十七年になる。冬になると、工房の漉き舟の水に手を入れる。十二月から三月まで、水は手が痛むほど冷たい。それでも紙は冬に漉く。千年の伝統が、この季節を選び続けてきたのだろう。手に宿った技は、言葉にすればすぐ嘘になる気がする。

和紙は、楮(こうぞ)の繊維を水に溶くところから始まる。叩いてほぐした繊維を漉き舟に放ち、トロロアオイという植物の根の粘りを加える。この粘りが繊維を水の中に立たせて、ゆっくり沈ませる。粘りがなければ繊維はすぐ底に溜まってしまい、簀(す)の上に均すことができない。

なぜ冬なのか。トロロアオイの粘りは、水温が低いほど長く保つからだ。夏の水では粘りがすぐにへたって、繊維が思うように散らない。手の感覚が消えるほど冷たい水のほうが、紙の都合にはいい。職人の手より、紙の都合が先に立つ。それを冬の水で教わった。

簀桁(すけた)は、簀と桁を合わせた漉きの道具だ。これで漉き舟の水を汲み、揺らす。揺らし方には縦と横がある。手前から奥へ、左から右へ。揺らすたびに繊維が向きをそろえ、その向きが乾いた紙の強さを決める。縦に流せば縦に強い紙、横に動かせば横に裂けにくい紙。一枚の中で、見えない繊維がどちらを向くかを、手首だけが決めている。

弟子入りした年の冬、師匠に言われた。「数を漉くな。同じ厚みを漉け。百枚漉いて百枚同じなら、それが職人だ」。私はその意味を、しばらく考えていた。たくさん漉けばうまくなると思っていた私には、厳しい言葉だったように思う。

簀桁を汲んで、揺らす。そのわずか数秒の波で、一枚の厚みが決まる。汲む量、傾ける角度、止める間(ま)。どれか一つがずれれば、紙は厚くなり、薄くなる。けれど厄介なのは、漉いた瞬間には、それが分からないことだ。水を含んだ紙はどれも同じ顔をしている。

漉いた紙は、乾燥板に刷毛で貼って乾かす。空気を抜くように、中心から外へ刷毛を滑らせる。そうして翌日、乾いた紙を板から剥がすと、初めて漉きむらが現れる。光に透かすと、雲のような濃淡が見える。昨日の手の迷いが、そこに残っている。漉きむらは、翌日の答え合わせだった。残酷な答え合わせだったと思う。

三年目だったか、文化財の修復に使う薄紙の注文が来た。傷んだ古文書の裏に貼る、隅から隅まで同じ厚みの、極限の一枚。厚ければ元の紙の表情を殺し、薄ければ破れる。光に透かして、雲一つない紙。師匠の「百枚同じ」が、ようやく必要になった。

あれから二十七年、私は厚みの観察者になった。簀桁を揺らす数秒の波が、私をいまの私にしてくれた。紙は今日も、漉いた瞬間には何も語らない。語るのはいつも翌日だ。それでいい。私は明日の答えを待つために、今日も冬の水に手を入れる。

——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。

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