サコミズトオル(48歳・地下鉄の軌道保守26年)
ガタンゴトン、という音がある。乗客にとってあれは旅情で、子守唄で、車内でうとうとするときの揺りかごの音なのだろう。けれど私たち軌道保守の人間にとって、あの音はレールの継ぎ目の音であり、継ぎ目はそのまま点検箇所のことだ。同じ音を、乗客は眠るために聴き、私は起きているために聴く。
レールは一本でつながっているわけではない。かつては二十五メートルごとに切れていて、その切れ目を継目板という鉄の板で挟み、ボルトで締めて、次のレールにつないでいた。車輪がその継ぎ目を渡るたびに、ガタン、と鳴る。前の車輪でガタン、後ろの車輪でゴトン。ガタンゴトンは、一つの継ぎ目を二度踏む音だったのだ。
継ぎ目には、わざと隙間を空けてある。遊び、と私たちは呼ぶ。鉄は夏に伸び、冬に縮む。隙間なくぴったりつないでしまうと、夏にレールが伸びる行き場をなくして、横にうねって浮き上がる。だから継ぎ目には、伸びを逃がすためのわずかな隙間が要る。その隙間を、深夜、私たちはゲージを差し込んで測る。何ミリ空いているか。夏の遊びは狭く、冬の遊びは広い。レールは、季節を隙間の幅で覚えている。
地下は、地上より温度が安定している。外が三十五度の真夏でも、トンネルの中はそれほど上がらない。けれど換気の具合で場所ごとに差が出る。風の抜ける区間と、よどむ区間がある。よどむところのレールは、夏、思ったより伸びている。だから同じ路線でも、継ぎ目の遊びは一様ではない。換気塔の近くと、駅と駅のちょうど真ん中とでは、ゲージの入り方が違う。それを一つずつ測って、野帳に書く。
継目板を留めるボルトは、緩む。車輪が継ぎ目を踏むたびに、わずかな衝撃がボルトに伝わり、長い時間をかけて、少しずつ戻ろうとする。緩んだボルトは、叩けば分かる。前のエッセイにも書いたが、奥で何かが遊ぶような濁った音がする。緩みを見つけたら、レンチをかけて増し締めする。トルクレンチが規定の値で、カチッと逃げるまで締める。締めたボルトの頭に、白いペンキで印を一つ打っておく。次に来た者が、ここは締め直した、と分かるように。
継ぎ目の中には、特別なものもある。絶縁継目だ。これはレールとレールの間に絶縁材を挟んで、わざと電気を流さないようにしてある。線路は信号のために区間ごとに電気的に区切ってあって、列車がどの区間にいるかを電流で検知している。絶縁継目は、その区間の境目だ。ここが壊れて電気が漏れると、信号が「列車がいない」と誤って判断しかねない。だから絶縁継目は、ただの継ぎ目以上に念入りに見る。継ぎ目は、力を逃がす場所であり、同時に、電気を区切る場所でもあった。
近ごろ、地下鉄の音は静かになった。ロングレールというものが普及して、レールを溶接で何百メートルもつないでしまうからだ。継ぎ目が減れば、ガタンゴトンも減る。乗客は、静かになった車内をきっと喜んでいる。けれど継ぎ目が減るということは、私たちの点検箇所が減るということでもあって、それは少しさみしいような、楽になったような、どちらともつかない気持ちだった。あの音は、保守員にとっての道しるべでもあったのだから。
溶接でつないだロングレールにも、伸び縮みはある。ただ、長い一本の中に伸びを溜め込んで、端のほうで伸縮継目という特別な仕掛けに逃がす。継ぎ目が消えたのではなく、継ぎ目が見えにくいところに移っただけだ。鉄が季節で伸び縮みすることは、溶接しても変わらない。レールは、人が静かにしたがっても、相変わらず夏に伸び、冬に縮んでいる。
ガタンゴトンは、乗客にとっては子守唄で、私にとっては点検箇所の音だ。同じ音を、眠るために聴く人と、起きているために聴く人がいる。あの音が静かに消えていくいま、私は思う——ガタンゴトンは、レールの継ぎ目が、まだここにありますと知らせてくれていた、保守の音だったのだと。今夜もまた、送電が落ちるのを待って、私はゲージを持ってトンネルに下りていく。
——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。