ササメチカ(45歳・航空管制官23年)
二十三年使ってきた席に、いまは半分しか座っていない。私の左にもうひとつ椅子があって、そこに後輩がいる。マイクを握るのは後輩のほうだ。私のヘッドセットは同じ周波数を拾っている。後輩の声と、戻ってくる復唱を、同じ瞬間に聞いている。
この仕事の資格は、人ではなく席につく。レーダーの資格を持っていても、タワーに移れば、また訓練生からやり直す。私自身、四十を過ぎてから新しい席で訓練生の名札をつけ直した。何百機を捌いてきた手が、別の席では「まだ一人で喋ってはいけない」手に戻る。資格は席ごと、というのはそういう意味だ。
隣に座るあいだ、私の右手は膝の上にある。何かあれば、切替に伸びる。後輩が混雑の波で一拍詰まったとき、私の手は膝から五センチ浮いて、止まった。本人が次の便を呼んだ。手を膝に戻した。一勤務のあいだ、私の右手は何度も浮いては戻る。マイクを握るより、握らない手のほうが疲れる。
口を出す線は、数で決めている。後輩が復唱を一回聞き落としても、私は黙っている。本人が気づいて訊き返す余地があるからだ。二回目で、私は手をかける。聞き落としが二つ重なれば、次の機の間隔が削れはじめる。そこが危険の手前だ。早すぎる介入は、後輩から「自分で立て直した」一回を奪う。その一回が、いちばん人を育てる。
勤務のあとは、交信の録音を二人で聞き直す。さっき後輩が出した指示が、もう一度流れる。「降下して一万一千」の復唱を待たずに、後輩は次の便を呼んでいた。録音の中で、その重なりがはっきり聞こえる。隣で後輩の眉が動いた。あ、と小さく言った。私は何も言わない。自分の声が、自分にいちばんよく教える。
私にも一年目があった。混雑の波で固まった私の横で、先輩の手が、私のマイクの線を外して自分のほうに繋ぎ替えた。代わられた、と分かった瞬間、顔が熱くなった。あの熱を、私は捨てていない。後輩の手が浮いて止まるたび、私は自分の右手に問う。いま線を繋ぎ替えれば、この子は今日の熱を覚えるか、それとも、繋ぎ替えないことで覚えるか。
資格試験は、隣で一度も口を挟まなければ合格になる。その日、波が来て、雲が出て、後輩のマイクの線に私の手は三度浮いた。三度とも、膝に戻した。終業のチャイムが鳴り、後輩がヘッドセットを外した。私たちは席を交代した。私は立ち上がり、後輩がマイクの前に座り直した。それだけだった。
いま、その後輩は一人で座っている。私の左の椅子は引かれたまま、誰も座っていない。私はときどき管制室の後ろを通る。後輩の右手が、混雑の波で膝から五センチ浮いて、また鍵盤に戻るのが見える。今日も私は、どこかの席で、誰かの復唱が一拍遅れて戻ってくるのを、息を止めて待っている。