ササメチカ(45歳・航空管制官23年)
いまの勤め先は、定期便が日に数便しか来ない地方の空港だ。レーダーの広い空ではなく、タワーから滑走路と周りの空を見ている。窓の下に整備地区があって、定期便の合間の長い時間、そこに並ぶのはセスナと、農薬散布のヘリばかりだ。空を支えるのは管制官だけではない、地上にも仲間がいる——そう思えるようになったのは、この空港に来てからだった。
飛ばない機体にも、私の声が要る。整備の終わったセスナがエンジンを回す試運転——ランナップ——をするとき、無線が入る。「グランド、JA○○、整備地区にてランナップの許可を」。飛ばないのに、なぜ管制が要るのか。最初は私も不思議だった。けれど回転を上げたプロペラの後ろには猛烈な風が出る。誘導路を横切る車や、近くの機体に、その風が当たらないか。地上にも、空けておくべき余白があるのだと思う。
地上走行の誘導も、地味だが神経を使う仕事だ。整備の済んだ機を、トーイングカーが整備地区から滑走路脇の駐機場へ牽いていく。その経路が、ちょうど誘導路を一本横切る。私は定期便の地上走行と、その横断の時刻が重ならないよう、秒の単位で間を計る。「トーイング、誘導路Aの横断、許可します。速やかに」。横断が終わって「クリア」の声が戻るまで、私は別の許可を出さない。
整備士の無線の声には、毎週聞いている常連がいる。落ち着いた、低めの、語尾を伸ばさない声だ。コールサインと用件だけを淡々と言って、復唱もきれいに返ってくる。私はその声を、たぶん同僚の誰よりよく知っている。なのに顔は知らない。声だけ知っている人、というのが、この仕事には存在する。週に何度も交信しているのに、すれ違ったことすらないのかもしれない。
その人と、初めて顔を合わせる日が来た。空港の防災訓練の合同行事で、消防や整備や管制が一つの格納庫に集められた。名簿の読み上げのとき、聞き慣れたあの低い声が「はい」と返事をした。私は思わずそちらを見た。ああ、あの声の人だ。想像していたより小柄で、作業着の袖をまくった、日に焼けた人だった。声の向こうに人がいたのだ、と私はそのとき静かに思った。
休憩のあいだ、その人——ウタガワヒビキさんと、缶コーヒーを片手に少し立ち話をした。小型機の整備士で、もう二十三年になるという。奇しくも私と同じ年月だった。整備士から見た管制、管制から見た整備。話してみると、似たところがあるものだと思った。
ウタガワさんは言った。「整備は、直す仕事だと思われがちだけど、半分は疑う仕事ですよ。大丈夫だと思いたい気持ちを、いちばん疑わなきゃいけない」。私はうなずいた。管制も、復唱を疑うところから始まる。正しく戻ってきたと思いたいのを、こらえて聞く。互いの「疑い」の仕事が、滑走路の上と下とで、たぶん同じ向きを向いている。そういうことなのかもしれない、と思った。
翌週、いつものようにタワーに座っていると、あの低い声が無線に入ってきた。「グランド、JA○○、ランナップの許可を」。同じ声、同じ用件。けれど、違って聞こえた。顔を知ってしまうと、声はただの音ではなくなる。私は許可を返しながら、格納庫で缶コーヒーを持っていた、あの小柄な背中を思い浮かべていた。
地上の無線は、飛ばない機体と交わす、小さな交信だ。空を支える仲間が、滑走路の下にもいる。私はこの席で、これからもその声を聞き続けるのだろう。声の向こうに人がいる——それを知ったいまも、私は復唱が戻ってくるのを、息を止めて待っている。
——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。