稚貝の、世話
核を入れる前の、長い数年のほうの仕事

ササヅカリン(35歳・真珠の核入れ士12年)

核入れは数十秒の仕事だが、その数十秒に耐える貝を育てるには、何年もかかる。命を育む海に寄り添い、稚貝を一人前の母貝に仕立てていく、その長い時間のほうこそ、いまの私の仕事の大半なのだと思う。核入れ士は核入れだけしていればいい、という時代は、もう終わったのかもしれない。

稚貝は、最初はほんの爪の先ほどの大きさだ。これを採苗用の細かい籠に入れ、少しずつ目の粗い籠へ移し替えながら、核入れに耐える体になるまで育てる。だいたい二年から三年。途中で何度も籠を替え、間引き、また沖へ戻す。核を入れられる貝になるかどうかは、この数年の世話で決まると言ってもいいだろう。

いちばん手のかかるのは、籠の掃除だ。海に沈めた籠は、放っておくとすぐに付着物で覆われる。フジツボがびっしりつき、海藻が垂れ、その重みで籠が沈んで潮通しが悪くなる。潮が通らなければ貝は餌を取れず、弱る。だから私たちは貝掃除の鎌を持って、籠を引き上げては付着物を削ぎ落とす。鎌の刃を籠の網に沿わせて、フジツボの根を断つ。手が荒れて、冬でも海水で指がふやける。地味で、終わりのない作業だと思う。

掃除のついでに、貝の身入りを確かめる。指で貝を持って重さを量り、蝶番のあたりを軽く押して、身の張りを見る。痩せた貝に核を入れても、貝は核を抱えきれずに吐く。逆に、よく肥えて身の厚い貝は、大きい核を受け止める。核入れの春までに、どの貝が核を入れられる体になっているか、私はこの数年の世話の手のなかで、少しずつ見極めていくのだ。

夏には、赤潮の警報が出る。湾の水が赤茶けて、酸素が薄くなる。警報が出たら、決断は早いほどいい。籠を深く沈めて赤潮の層をやり過ごすか、それとも筏ごと湾の外の、潮通しのいい場所へ逃がすか。海の異変に、その日のうちに応えなければならない。判断が遅れれば、何年もかけて育てた貝が一晩で死ぬこともある。海はやさしいばかりではないのだと、夏のたびに思い知らされる。

台風が来ると分かれば、その前に筏を補強し、籠を深く沈める。海面近くの籠は波で揉まれて貝が傷つくが、深いところは波が届きにくい。ロープを締め直し、浮きの間隔を詰め、筏が流されないように錨を増やす。風が強くなる前に、海の上での作業をすべて終える。台風が過ぎたあと、無事だった筏を見上げるときの安堵は、言葉にしがたいものがあるのかもしれない。

それでも、貝の斃死の朝はある。籠を引き上げると、貝殻が開いたまま、口を開けて並んでいる。生きた貝は刺激を与えれば閉じるが、死んだ貝は開いたままだ。その列を見ると、胸が落ちる。けれど落ち込んでばかりもいられない。なぜ死んだのか、水温か、赤潮の名残か、餌の不足か、原因を一つずつ潰していく。斃死の貝殻の列は、次の対策の出発点でもあるのだ。

昔は、核入れ士は核入れの季節にだけ呼ばれて、数十秒の手だけを売っていればよかったと聞く。けれどいまは人手が足りず、私は稚貝の仕立てから籠の掃除、赤潮の対応、台風の備えまで、養殖場の全工程に関わっている。最初はそれを、本来の仕事ではないと感じていた。

けれど、いまは少し違う。籠の付着物を削り、身入りを確かめ、赤潮の夏を越え、斃死の朝に原因を探す——その数年の時間が、春の数十秒の手を支えているのだ。貝を育てる時間があるからこそ、私は核を入れるその一瞬に、貝の機嫌を読むことができる。世話は、核入れの一部だったのだと、いまの私は思う。

——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。

辛口レビュー →
第二稿(改稿版)→
← シリーズ目次に戻る

このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。