ササヅカリン(35歳・真珠の核入れ士12年)
核入れは、生きたアコヤ貝を開けて、その体に核と外套膜の小片を入れる仕事だ。一枚にかける時間は数十秒。私はそれを十二年やってきた。迷っている間に貝は弱るので、迷う暇はない。
修業は二〇一四年、二十三歳の春に始めた。核入れには窓がある。水がぬるむ春の繁忙期、海水温が上がりすぎる前の数週間。師匠はその朝の水温を帳面につけ、貝の口の開き加減を見て、今日入れる貝と入れない貝を仕分けていく。弱った貝に入れても核を吐く。私には全部同じ貝に見えたが、師匠の手の中では一枚ずつ別の生き物だった。
ピースは外套膜から切り出す数ミリの小片で、これが三年後の真珠の色を決める。師匠は色のいい母貝を選び、外套膜の縁を帯状に切り、それを正方形に刻んでいく。刃は引かず、押し当てて落とす。私が最初に落としたピースは縦に長すぎて、師匠は黙ってそれを脇へどけ、もう一枚、私の前で切ってみせた。同じ厚さの、同じ大きさの正方形だった。
核は貝の身の厚みで選ぶ。薄い貝に大きい核を入れれば、貝は閉じきれずに死ぬ。師匠は核を指の腹で転がし、貝を一度ちらと見て、次の段の小さい核に手を変えた。その「一度ちらと見て」を、私はまだ盗めずにいた。
初めて自分で入れた朝のことは、手が覚えている。開口器をかませて貝を少しずつ開く。閉じようとする力が、栓のように指へ返ってくる。身を傷つけない位置に切れ目を入れ、核を押し込み、その奥に、切ったばかりのピースを、表を間違えずに添える。表裏を逆にすれば真珠はできない。指先が汗で滑った。貝を閉じたとき、数十秒が過ぎていた。
師匠が開口器を動かしながら言った。「急ぐな。でも貝を待たせるな」。矛盾に聞こえた。続けて、「開けた貝は、開けた瞬間から弱る。速さは、貝への優しさだ」。その日の帰り、私は自分が殺した数枚の貝を思った。丁寧に、ゆっくりやったから死なせた貝だった。優しさのつもりが遅さで、遅さが貝を弱らせていた。
核を入れた貝は養生かごへ移し、しばらく安静にしてから沖へ出す。受け入れるか吐くかは貝が決める。私が決められるのは、開けてから閉じるまでの数十秒だけだ。答えはその場では出ない。三年後の冬、浜揚げで、入れた核が真珠になって——あるいは空のまま——戻ってくる。
二〇一七年の冬、最初の年の貝が揚がった。私が縦長のピースを入れた貝は、核を吐いて空だった。隣の、師匠が切り直してくれたピースの貝には、薄桃に青を含んだ照りの玉が入っていた。私が直した字は数えていないが、吐かれた貝の数なら今でも言える。覚えているのは、いつも、戻ってこなかったほうだ。