小学校の学級通信に登場しない子どもの名前(第二稿)
誰の写真が載らないか

アンドウユイ(教務アシスタント)

金曜の放課後、印刷室で四年二組の学級通信を二十七部そろえた。見出しは「係活動が光った一週間」。本文には飼育当番の報告、音読の感想、理科室の片づけが並び、固有名詞は三人だけだった。その三人に異論はない。ただ、昼休みに金魚の水槽のふたを拭いていた伊東さんの名が、一度も出てこないまま刷り上がった。

その日、伊東さんは保健室から戻った子の机を少し引き、通れる幅をつくってから、水槽台の下にもぐった。青いバケツの縁には白い塩の輪が乾いていて、ぞうきんは絞りが甘く、床に細い水筋が残った。だれかに頼まれた仕事ではない。担任は廊下で来客対応をしていたし、私は印刷原稿を受け取りに来ただけだった。伊東さんは袖口をぬらしたまま、ふたの裏についたえさの粉を爪でこそげ、固い蝶番をいったん膝で受けた。

原稿の初稿には「伊東さんが水温計のくもりを拭きました」とあった。私はレイアウト表を見ながら、その一文を消した。写真の説明が一字はみ出し、行間をこれ以上詰めると学年主任に戻されると分かっていたからだ。代わりに入れたのは、「生き物係の友だちが進んで世話をしました」。名前を抜くと、文面は急に扱いやすくなる。そこに手を貸したのは私だ。

「生き物係が協力して、水槽をきれいにしました」

通信にはそう載った。だが、あれは協力ではない。 ほとんど伊東さん一人だった。もう二人の係はチャイムまで校庭にいて、戻ってから濡れた新聞紙を丸めただけで終わった。現場にあった偏りを、紙の上で丸めて均したのは書く側である。

翌朝、私は各教室に束を置いて回った。四年二組では、紙を半分に折って連絡袋へ滑らせる子もいれば、写真の自分を指で探す子もいた。伊東さんは見出しから最下段まで目を走らせ、裏面も返し、右上をきっちり合わせて袋に入れた。それから水槽の前にしゃがみ、昨日こぼした水の跡を上履きの底で二度こすった。読み落としたのではない。載っていないと、子どもはすぐ分かる。

欠席していないのに、記録から外れる子がいる。しかも、目立たなかったからでは済まない。大声も拍手もない場面ほど、書く人間は「まとめやすい文」に逃げる。雑巾の濡れ具合や、爪でこすった白い粉や、袖口の冷たさは、一行要約にすると真っ先に消える。通信の癖は教室の癖をそのまま写す。名指しされる子は毎号似てくる。

配布後の束に訂正は挟めない。だから次号で埋め合わせる、という考え方もやめた。別の一号で別の名前を足しても、この紙に載らなかった事実は消えないからだ。私は前号の控えを机の左端に立て、削った一文を赤ペンで余白に書き戻した。きれいな誌面より、どの手つきを要約して捨てたかが先に見える位置へ置く。その確認をせずに通信を整えると、また同じ子から順に消える。

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このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。第一稿への辛口レビューを経て書き直した第二稿です。