蛇口の、手前
運転管理一年目、町が起きる前に水が起きる日

セキネタツヤ(43歳・浄水場運転管理20年)

浄水場で働いて二十年になる。仕事は、町じゅうの蛇口の手前で水をつくり、送ること。中央監視室のモニターには、原水の濁度、残留塩素、配水池の水位、そして配水量のグラフが、一日じゅう流れている。私は、人が水道を意識せずに済むように、その手前に立っている。

水質は数値で語れる。濁度は何度、残留塩素は一リットルあたり何ミリグラム、凝集剤の注入率は何ppm。基準値の幅は法令と運用で決まっていて、私はその幅の中にすべての数字を収め続ける。味は、最後の確認だ。数値が揃った水を、最後に口に含む。これを検水と呼ぶ。順番を逆にしてはいけない。

二〇〇六年、運転管理の一年目だった。私は二十三歳で、その秋、初めて中央監視室の夜勤に就いた。先輩から引き継いだのは、ノートと、几帳面な巡視の順路と、「グラフを見ていろ」という一言だけだった。夜のモニターは静かに光っていて、計器室には薬品とコンクリートの匂いが満ちていた。

深夜になると、配水量のグラフが下がっていく。町が一軒ずつ蛇口を閉め、眠りについていく。午前二時、三時、グラフは底に張りつく。眠る町に、水はそれでも静かに流れ続けている。誰も飲んでいない水を、私たちは送り続けていた。そういうものなのだろう、と私は思っていた。

明け方の四時台に、最初の山が来た。グラフの線が、底からゆっくりと立ち上がった。私はそれを、誰かが起きてトイレに行ったか、早番の工場が動き出したか、その程度に見ていた。だが線は下がらず、上がり続けた。私は当直の主任を呼んだ。主任は画面を一瞥して、「ああ、町が起きる前だな」と言った。

主任の説明はこうだった。人が一斉に顔を洗い、米をとぎ、風呂に湯を張り、トイレを流すのは、もう少し後だ。その需要に間に合わせるには、水は先に作って、配水池に溜めて、送り出しておかなければならない。だから町が起きる前に、水道が起きる。グラフの四時台の立ち上がりは、町の目覚ましより早く鳴る、もう一つの目覚ましなのだった。

そのとき初めて、グラフが町に見えた。それまで私は数値を、基準値に収めるべき対象として見ていた。けれどあの朝の立ち上がりは、まだ暗い家々で、誰かが布団から出て台所に立つ気配そのものだった。配水量のグラフには、町の生活がそのまま出る。私は数値の番人から、町の観察者になった。たぶん、あの四時台に。

以後二十年、私はグラフを読み続けている。夏の夕方には、入浴と打ち水で大きな山が二つ重なる。正月の三が日は、線が異様に平らになる——町じゅうが少しずつ寝坊し、少しずつ来客の支度をして、山がならされる。断水事故のあった日のグラフは、私の机の電話が鳴り続けた記録と、ぴたりと重なっていた。毎日の検水で口に含む水の味は、たいてい何の味もしない。何の味もしないことが、その日一日の答え合わせだ。

正常運転とは、誰も水道が動いていると気づかないことだ。私の仕事がうまくいった日、町の人は私のことを一秒も考えない。グラフの山が、私をいまの私にしてくれた。蛇口の手前に立つ人間は、たぶんずっと、手前のままでいい。

——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。

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このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。