セリザワコウ(30歳・自転車店の修理工8年)
春先になると、店の前に親子がやってくる。子どもは自分の自転車のハンドルを握って、少し緊張した顔で立っている。注文はたいてい同じだ。「補助輪を外してください」。自転車屋の修理のなかで、これがいちばんおめでたい注文だと思う。直すのではなく、子どもが大きくなったから、いらなくなったものを外す。そういう注文なのだ。
外すこと自体は、なんということもない。補助輪を後輪の車軸に留めているナットは、たいてい十四ミリ。スパナをかけて、左に回す。二本で五分もかからない。けれど、外した後に「乗れるかどうか」は、店の管轄ではない。私は外すところまでしかできない。乗れるようになるのは、その子と、その子の足の仕事だ。
外しに来る組み合わせを、私はいつのまにか見るようになった。父と子。母と子。たまに、祖父と孫。父親はたいてい腕を組んで黙って見ている。母親は子どもの背中に手を添えている。祖父は、孫よりも先にうれしそうな顔をしている。同じ「補助輪を外す」でも、付き添う人の手の置き方で、その家のかたちが少しだけ透けて見える気がした。
外している間、子どもの顔を見る。誇らしさと不安が、ちょうど半々で混ざっている。もうお兄ちゃんだから、もうお姉ちゃんだから、補助輪なんていらない。その誇らしさと、本当に二輪で立てるのだろうかという不安とが、まだ整理されないまま、小さな顔の上で揺れている。私はその顔を見るのが、嫌いではない。
補助輪を外すとき、私はもうひとつ提案をすることにしている。「ついでに、サドルも上げますか」。補助輪を外す日は、たいていサドルを上げる日でもあるからだ。子どもの背は、補助輪をつけていた間にも伸びている。両足のつま先が、地面にちょんと届くくらい。それがいちばん、こけにくい高さだ。補助輪を外すという一段目と、サドルを上げるという二段目を、その日に一度にやってしまう。成長というのは、たぶんこうやって一度にやってくるものなのだろう。
外した補助輪には、行き先が二つある。「記念に持って帰ります」と、「処分してください」。持って帰る親のほうが、少し多い。外した補助輪は、たいてい汚れている。何年つけていたかが、その汚れ方で分かる。タイヤのゴムは溝が埋まり、金具には泥と錆が乗っている。長く頑張った補助輪ほど、汚い。私はその汚れを布で軽く拭いてから、親の手に渡すようにしている。
補助輪を外したら、後輪のスタンドを付け替えることもある。補助輪が支えになっていた自転車には、自立用のスタンドが付いていないことがあるからだ。スタンドを立てて、子どもに店先で試し乗りをさせる。最初の一漕ぎで、たいていふらつく。親が小さく声を上げる。それでも子どもは、自分の足で地面を蹴って、よろよろと前に出ていく。その後ろ姿を、私はいつものように見送る。
それから数年して、同じ自転車がパンク修理で店に来ることがある。大きくなった子が、今度は一人で押してくる。後輪の車軸を見ると、補助輪を留めていたネジ穴が、まだ残っている。錆びて、茶色くなって。もう何も留めていないその穴を見ると、ああ、あの子の自転車だ、と分かる。穴は、塞いだ覚えのある穴ではない。けれど、確かに見覚えのある穴だった。
補助輪を外す日は、子どもにとっての成長の儀式なのだと思う。私はその儀式の、たった五分の進行役をつとめているにすぎない。けれど、外した補助輪を拭いて親に渡すとき、私は少しだけ、いい仕事をした気持ちになる。直したわけではないのに。今日も春の店先を、補助輪のとれた自転車が、ふらつきながら走り去っていく。その後ろ姿を、私はただ見送る。もう二度と、補助輪をつけに戻ってこないことを、願いながら。
——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。