セリザワコウ(30歳・自転車店の修理工8年)
研修の初日、店主は私の手元を見ていて言った。「穴を塞ぐ前に、原因を見つけろ。原因が残ってると、一週間で戻ってくる」。私はその意味を、最初の冬で覚えた。一週間でほんとうに戻ってくる自転車を、二台見たからだ。
チューブを外し、空気を入れて、まず耳と頬を近づける。漏れの音と風は、たいていそれで分かる。分からないときだけ、たらいの水に沈める。泡が立つ。立った場所に、油性ペンで丸を打つ。穴そのものには用がない。用があるのは、その丸を、タイヤの内側のどこに当てるか、だ。
チューブとタイヤは、同じ向きに組まれている。だから泡の丸の位置を、外したタイヤの内側の同じ場所に重ねれば、そこに原因がいる。指でなぞる。ガラスの破片は、爪の先よりも小さい。指の腹で、線のような引っかかりを探す。一年目の冬、私は何度もそこで指を切った。血の滲んだ指でも、なぞるのはやめない。残った破片を見落とせば、貼ったパッチの隣が、また破れる。
穴は、その形で原因を言う。点で開いた穴は、刺さりもの。チューブの内周側に二つ並んだ穴は、現場でスネークバイトと呼ぶ。段差で踏んで、チューブがリムとタイヤに両側から噛まれた跡だ。一面に薄く擦れているのは、空気が足りないまま走り続けた摩耗。点の穴は塞げばいい。擦れた穴は、塞いでも意味がない。原因が乗り方だからだ。
「またパンクしたんだけど」。そう言って来る客の自転車を、私はまずタイヤを親指で押す。ぺこりと深く沈む。空気圧が低い。チューブには、点も裂けもない。一面の摩耗だ。原因はこの人の乗り方ですとは、言わない。「空気、減ってましたね。月に一回、押して沈むようなら入れてください」。沈む、という言葉だけ、相手の指に残るように渡す。
月曜の朝は、通学の自転車が駆け込んでくる。週末に乗らずに置かれて、月曜にぺしゃんこになって気づかれる。学ランの裾に、チェーンの油の黒い線がついた子がいた。急いでいて、原因の話は聞かない。私は内側をなぞり、破片の有無だけ確かめて、パッチを貼る。その子は後輪を地面に一度叩きつけるように蹴って、走り去った。来週もたぶん来る、と思った。
八年、たらいの水に何千回チューブを沈めた。塞いだ穴は覚えていない。覚えているのは、塞いでも直らなかった穴のほうだ。一面に薄く擦れた、あの摩耗の手触り。あれは穴ではなく、乗り方だった。