フジワラレン(研究助手)
毎朝、玄関のドアを開ける直前に、背中から声がかかる。「気をつけてね」。フジワラは返事をしない。振り返ることもない。もう、するまでもないことだった。肺いっぱいに音にならない息を吐き、外の、少し冷たい朝の空気をゆっくりと吸い込む。この十数年、一日も欠かすことのない朝の儀式として、彼の体に深く染みついていた。
台所では、いつも母が朝食の片付けをしているか、淹れたてのコーヒーを傍らに新聞を広げている。顔を合わせれば、「今日は早いね」だとか「忘れ物はない?」といった、その日ごとの他愛ない言葉を二、三交わすこともあった。しかし、玄関の敷居をまたぐ直前の「気をつけてね」は、それらのどれとも性質が違う。それは、特定の情報を持つ言葉ではなく、ただ、そこにあること自体が意味を持つ、まるで風景の一部のような言葉だった。
もし天気予報で雨が降ると知っていれば、「傘は?」と尋ねる。急な出張や大切なプレゼンがあると知っていれば、「頑張ってね」と、普段とは少し違う声色になる。具体的な事柄は、明確な意図を持った別の言葉で伝えられるのだ。ゆえに「気をつけてね」は、常に何も付け足さない。何も変えない。特定の意味合いを持たず、ただ、同じ音の連なりとして、毎日同じタイミングで発せられる。それは、情報の伝達というより、むしろ、朝の空気そのものに近い存在だった。
ある日、ふと、少しだけ意地悪な気持ちが芽生えた。冗談めかして、母に言ってみた。「毎日言うことは、もう情報じゃないですよね」。母は、シンクに溜まった洗い物の手を止めることもなく、蛇口から流れ続ける水の音に紛れることなく、静かに答えた。その声は、いつもと変わらぬ穏やかさを含んでいた。
情報じゃないから、言うのよ。
その簡潔な一言が、フジワラのアタマの中で何度も何度も反響した。情報ではない。だから、言う。これまで自分が「情報」と定義し、価値を見出してきたものとは、まるで違う次元に、その言葉は立っているようだった。それは、論理や効率とは異なる場所から、彼の日常に語りかけてくるものだった。
具体的な予測も、切迫した警告も、一切含まれていない。新しい知らせも、特定の行動を促すための意図も、そこにはない。ただ、言葉が、音の振動となって耳に届き、そして、静かに空気の中に溶けて消えていく。その一瞬だけ、朝の静けさに、見えないさざ波がじんわりと広がる。
フジワラは、その日もいつも通り、重厚な玄関のドアを押し開けて、外へ出た。磨かれたばかりのアスファルトを、昨日と寸分違わぬ朝の光が惜しみなく照らしている。母の言葉は、その光と同じように、ただそこにあるものとして、彼の心の中に確かに残っていた。
彼女は今日も、明日も、そのまた明日も、きっと同じ言葉を繰り返すだろう。そしてフジワラもまた、その変わらぬ言葉を背に、新たな一日を静かに始める。その言葉の奥底にある「特別な意味」を、もう深く探求することはなかった。ただ、それを毎日聞くこと。その行為が、彼にとって十分なのだと、今は思えるのだった。
——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。