値札の、付け替え
同じ服の値段が、店の中で変わっていく

シブヤアオイ(25歳・古着屋バイヤー4年)

古着屋でバイヤーを四年やっている。買い付けてきた服に、値段をつけるのも私の仕事だ。一着の値段は、店に並んでいるあいだに、何度か変わっていく。入荷したときの強気の数字から、一か月後の値下げ、セールの最終価格まで。同じ服の価値が、店の中でゆっくり変わっていく。値段とは、つくづく、揺れるものなのだと思う。

値札は、タグガンという道具でつける。引き金を引くと、細いプラスチックの糸が、針の先から服のタグや縫い代に撃ち込まれる。値段を変えるときは、古い値札を外して、新しい値札を撃ち直す。だから値下げのたびに、同じ場所のすぐ近くに、もう一つ穴が増える。

長く売れずに残った服のタグには、穴がいくつも空いている。二つ、三つ、四つ。穴の数だけ、この服は値段を付け替えられてきた。穴の列は、値段が下がっていった回数を、静かに記録している。値札の穴は、その服が歩いてきた道のりの、足跡のようなものだった。

値下げした途端に売れる服がある。三千八百円では誰も手に取らなかったのに、二千八百円の値札を撃ち直したその日の夕方には、もうハンガーから消えている。たぶんお客さんは、ずっと前から見ていたのだ。あと少し下がるのを、待っていた。私の最初の値段が、ほんの少しだけ強気だったということだ。

逆に、何度下げても残る服もある。穴が三つ空いても、四つ空いても、誰も連れて帰らない。生地も縫製も悪くないのに、なぜか、その服の前で足が止まらない。値段の問題ではないのだと思う。値段をいくら下げても、出会うべき人とまだ出会えていない服が、たしかにある。

窓際のラックに長く吊られた服は、肩のあたりだけ色が焼ける。陳列の日差しが、毎日少しずつ色を抜いていく。畳んでしまえば日に当たらない場所と、ハンガーで吊られて表を向きつづける場所とで、同じ一着の中に、濃淡の境目ができる。売れ残るというのは、こういうことだ。日に焼けながら、値札の穴を増やしていく。

最後まで残った服には、「引退」がある。系列の別の店に移したり、業者にまとめて流したりする。専用の段ボールに詰めて、伝票を貼って、トラックに積む。私が買い付けで惚れ込んで、強気の値段をつけた服が、三回値下げされてもなお残り、その箱に入っていくときは、正直、悔しい。私の読みが、三回外れたということだから。

反対に、値付けの読みが当たって、入荷初日に売れる服もある。値札を撃ったばかりの、穴が一つだけの服が、その日のうちに誰かの腕に抱えられてレジに来る。あのときの快感は、ちょっと言葉にならない。私の選んだ値段が、その人にとっての「ちょうどいい」と、ぴたりと重なった瞬間だ。

値札の穴は、嘘をつかない。何回値段を下げたか、どれだけ長く売れ残ったか、全部そこに残っている。値札の穴は、その服が店で過ごした時間の、履歴書なのだ。私はいまも値段をつけながら、穴の増えていく服を見ている。値段は変わっても、私がその服に惚れた気持ちは、最初の一発の穴のまま、変わらずそこにある。値付けとは、結局、自分の目を信じつづけることなのかもしれない。

——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。

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このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。