シブヤアオイ(25歳・古着屋バイヤー4年)
古着屋の試着室は、いつも少しだけ薄暗い。窓のない一角に、レールとカーテンと、斜めに立てかけた姿見が一枚あるだけ。けれど私は、この小さな箱こそが、店でいちばん大事な場所なのだと思う。服が、初めて人の体に出会う場所だから。
古着では、サイズの数字が当てにならない。アメリカの「M」と、八〇年代の日本の「M」と、ヨーロッパの「46」は、どれもまるで違う寸法を指している。タグに「W30」と書いてあっても、実寸を測れば七十八センチのときも、八十二センチのときもある。年代と国とブランドの数だけ、規格がある。だから新品の店なら数字で選べる買い物を、うちでは試着がほとんど全部決める。
カーテンの開き方で、だいたいわかる。気に入らなかった人は、カーテンを半分だけ開けて、隙間から肩を斜めにして出てくる。鏡の前にも立たない。気に入った人は、カーテンを大きく一息に開けて、まっすぐ姿見の正面に立つ。布一枚の動き方に、その人の答えがもう出ている。
試着室から出てきた客の、最初の動作を私は見ている。袖をつまんで長さを見る人。肩を回して可動を確かめる人。裾を引いて落ち感を見る人。そしてもう一度、値札を裏返して見る人。最後の動作が出たら、その服はたぶん売れる。値段をもう一度確かめるのは、買う前提で財布と相談を始めた人の仕草だからだ。
肩線が、いちばん嘘をつかない。着丈や袖はあとで詰められるけれど、肩の縫い目が落ちているか、ちょうど肩先に乗っているかは、その服がその人のために裁たれていたかどうかを、一目で映してしまう。鏡の前で、肩の縫い目が一センチずれているだけで、服はその人のものにならない。残酷なくらい、肩は正直だ。
ときどき、難しい瞬間がある。前の持ち主には完璧に似合っていたはずの服が、いま鏡の前に立っている人には、どうしても似合わない。生地の良さも、仕立ての良さも、私にはわかる。前の持ち主の肩の角度も、布の伸び方から読める。けれど、その読みは、いま目の前で鏡を見ている人には関係のないことだ。
そういうとき、店員として何を言うべきか。四年目の私の答えは、何も言わない、だ。似合うかどうかは、鏡とその人だけの問題で、店員が立ち入る領分ではない。前の持ち主の話をして背中を押すのは、私の読みを売りつけることになる。古着屋の店員にできるのは、ただ鏡の角度を、その人が自分をいちばんよく見られる向きに、そっと直しておくことだけなのかもしれない。
買わずに戻すとき、客のハンガーの掛け方にも、その人が出る。襟を整えてから掛け直す人もいれば、肩からずり落ちたまま返す人もいる。「取り置きできますか」と電話が鳴るのは、店を出てから鏡の残像が消えなかった人だ。一度脱いだのに、体がまだ覚えている。試着室の鏡は、そうやって、店を出たあとまでその人を追いかける。
結局、試着室の鏡こそが、古着屋という商売の本体なのだと思う。値段でも、私の買い付けの目でもなく、あの薄暗い箱の中で、服と人がたった二人きりになる時間。私はそのカーテンの外で、ハンガーを整えながら、今日も誰かが鏡に映る瞬間を待っている。服を読む仕事は、最後はいつも、鏡に明け渡される。
——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。