雨の、道筋
板金一年目、水の気持ちになれと言われた日

シギラナオ(41歳・建築板金職人19年)

建築板金という仕事を十九年やっている。金属屋根、雨樋、水切り、煙突回りの納め。家の、雨に当たる部分はだいたい私たちの領分だ。世の中の人は屋根を見ても屋根としか思わないが、私たちは屋根を見ると、雨がそこをどう走るかを見ている。仕事を覚えるというのは、たぶん、その走り方が見えるようになることだったと思う。

二〇〇七年、二十二歳のとき、私は地元の建築板金の工務店に入った。最初の半年は、板を切ることと運ぶことしかさせてもらえなかった。鋏で切った亜鉛鉄板の縁は刃物のようで、手袋の上から何度も指を切った。金属というのは、雨を防ぐ前に、まず人を切る素材なのだと、そのとき思ったものだ。

親方は無口な人だった。あるよく晴れた日、屋根の上で勾配の話になったとき、親方が珍しく長く喋った。「板金は雨の気持ちになれ。水はどこを走りたいか。走りたい道を作ってやれば、家は濡れない」。私はそのとき、雨と対話するというのはこういうことか、と妙に納得したのを覚えている。

雨仕舞いという言葉がある。屋根や壁に当たった水を、漏らさずに地面まで送り届けるための、流れの設計のことだ。板金の仕事の核心はここにある。ハンダも接着剤も使わない。板を折って、重ねて、噛ませる。ハゼという継ぎ目の技術で、金属だけで水を止める。折り目の向きひとつで、水は止まりもするし、吸い込まれもする。

勾配というのも、見た目では分からない世界だ。雨樋は、ぱっと見は水平に取り付いているように見える。だが実際には、数メートルの間に数センチだけ、落とし口に向かって傾けてある。水平に見えて水平でない。その数センチを出すために、水糸を張り、何度も目で確かめる。怖いのは、毛細管現象と、逆勾配だ。水は、ほんのわずかな逆らいでも、こちらの思惑と反対へ走り出す。

谷とケラバ。屋根の弱点と呼ばれる場所だ。二つの屋根面がぶつかって水が集まる谷、屋根の端が切れるケラバ。雨漏りの九割は、平らな面ではなく、こういう納まりの場所で起きると親方は言っていた。たしかに、面はただの面だ。事件はいつも、面と面のあいだ、終わりと始まりの境目で起きる。私はそういう場所ばかり見るようになっていった。

銅板の屋根の修理に行ったこともある。社寺の屋根で、葺いてから何十年も経った銅は、緑青を吹いて深い緑になっていた。新しい銅板を継ぎ足すと、その部分だけ赤茶色く浮いて見える。けれど何年か経てば、新しいほうも色を寄せてきて、やがて見分けがつかなくなるのだという。金属が時間をまとっていくのを、私は淡々と眺めていたのかもしれない。

台風の翌朝は、電話が鳴り続ける。めくれた板金の応急に走り回る。現場に着いてまず見るのは、どこが飛んだかではなく、なぜそこが飛んだか、だ。たいていは、最初にどこかの端が風を噛んで、そこから順にめくれていく。原因の端を見つけて、その一枚を押さえ直さなければ、何枚張り替えても同じことが起きる。めくれには、めくれた理由がある。

あれから十九年。私はずっと、水の走りたい道の観察者であり続けてきた。雨は敵ではなく、ただ低いほうへ行きたいだけの、正直な相手だ。その正直さに道を作ってやるのが私の仕事だった。雨の道筋を作る仕事が、きっと、俺をいまの俺にしてくれたのだと思う。今日も空を見上げて、雲の色から、明日この街を走る水の量を、私はぼんやり計算している。

——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。

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このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。