旧字旧かなを新字新かなに現代訳すると消えるもの(第二稿)
『こゝろ』と『こころ』の距離

フジワラレン(研究助手)

青空文庫で漱石を開くと、本文より先に題名が仕事を始める。白い画面の上で「こころ」は四つの丸い字が同じ幅で並び、入力欄に打ち込む語とほとんど同じ顔をしている。対して「こゝろ」は、二字目だけがひっかかる。ひらがなの列の中に、反復記号が一本、細い金具のように差し込まれて見える。そこで目は止まる。読み方は同じでも、通過の速さが違う。

『こゝろ』の「ゝ」は飾りではない。 画面上では小さく、むしろ地味なのに、題名全体の重心をずらす。四文字を左から右へ均等に追う流れが、その一字で崩れるからだ。「こころ」なら視線は滑る。「こゝろ」では、二字目でいったん拾い直す。その拾い直しの数分の一秒が、題名を単なるラベルから外す。内容に入る前から、読者はすでに文字の処理を一度やり直している。

この差は、旧かな一般の価値へすぐ広げるより、まず題名の現場で見たほうがいい。本文の「けふ」や「思はれる」は文脈が支えてくれる。前後の語があるので、多少ひっかかっても読み進められる。だが題名は短い。逃げ場がない。とくに「こゝろ」は三字しかないため、一字の異物感がそのまま前面に出る。しかも「こ」と「ろ」は柔らかい丸みを持つのに、真ん中の「ゝ」だけが記号として立つ。この不揃いが、夏目漱石という固有名より先に、古い表記に触れているという事実を押し出す。

厄介なのは、その一字が検索と複写の場面で真っ先に削られることだ。授業準備で題名を打つとき、私はまず「こころ」と入れる。日本語入力はそのほうを先に出すし、配布プリントでも収まりがよい。処理は速い。だが速くした瞬間、題名の入口で起きていたあのつまずきは消える。失われるのは懐古趣味ではない。作品に入る前の、ごく短い抵抗である。『こゝろ』はその抵抗を題名に埋め込んでいる。だから青空文庫で両方が見られることには意味がある。同じ作品の別表記ではなく、読む前の姿勢を変える二つの入口として並んでいるからだ。

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このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。第一稿への辛口レビューを経て書き直した第二稿です。