ごみ袋に、貼り紙があった日(第二稿)
収集一年目の夏、町を見るようになるまで

シノハラダイチ(35歳・ごみ収集作業員13年)

一日に百四十二か所回る。一か所、四十秒。十三年やれば数字は身体に入る。車を停め、ネットをめくり、袋を放り、回転板のボタンを押して、また走る。手が先に動く。考えるのは夜だ。

早朝の町は眠っていない。新聞のバイクが先に走り、コンビニの灯りがついていて、夏なら六時でもう汗が出る。何より、夜のあいだに発酵した生ごみが臭う。私たちはその臭いの中を回る。眠っているのは住人だけで、彼らの昨日は、もう集積所の青いネットの下に出されている。

二〇一三年、収集一年目の夏。ある住宅街の集積所でネットをめくると、一番上の可燃袋に、白い紙が貼ってあった。一瞬、手が止まった。違反シールかと思ったのだ。分別が違えば私たちが黄色いシールを貼る。だがそれは白かった。私たちが貼るものではなかった。

水性ペンだった。前夜の夜露で右の二文字がにじんでいた。「いつもありがとうございます。暑いのでお気をつけて」。名前はない。誰が書いたかは分からない。読み終える前に、私の手はもう袋をつかんでいた。四十秒は止まらない。袋を放り込むと、回転板が紙ごと奥へ巻き込んだ。にじんだ二文字が、ごみの山の下へ消えた。次の集積所が待っている。

その紙はもう手元にない。巻き込んで潰したのだから当然だ。だから私はその日の午前じゅう、走る車の助手席で、あのにじんだ文字を頭の中で何度も書き直していた。誰が、いつ、どの袋に貼ったのか。貼ったのはたぶん、私たちが来る前の晩だ。私はその家を知らない。会ったこともない。

その日から、袋の結び目を見るようになった。きつく二回結ぶ家、ひと結びで緩む家。可燃にプラを一つ二つ混ぜる家、最後まで几帳面な家。前は袋は袋だった。あの紙のあとは、結び目が文字に見えた。誰も私に手紙を書いたわけではない。それでも、結び方が、その家の手の癖を私に渡してくる。

年末は段ボールが増える。引っ越しの春も増える。ある集積所で、つぶした段ボールが先週の倍に積まれた朝があった。ベビー用品の箱が三つ混じっていた。私は停まらない。停まれない。四十秒で車は次へ動く。それでも、その家で何かが増えたことを、私は放り込みながら知ってしまった。知って、走り去った。

あの紙は、私を感動させたのではない。私を、袋を読む人間にした。感謝されたから報われた、という話ではない。あの朝から、私は町の勝手口の側を、毎朝、読みながら走っている。今日も百四十二か所。一か所、四十秒。結び目はきつく二回、その家はたぶん今日も、いつもどおりだ。

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このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。第一稿への辛口レビューを経て書き直した第二稿です。