引っ越しの、段ボール
三月末、集積所に積まれる束が教えること

シノハラダイチ(35歳・ごみ収集作業員13年)

古紙の日は週に一回と決まっている。私たちの地区は水曜の午前だ。三月の最終週になると、その水曜の集積所が、いつもと違う顔をする。畳まれた段ボールの束が、ふだんの何倍にもなって積まれている。春の風には新しい生活の匂いがして、引っ越しの季節が来たのだと、私は車のなかで思う。

段ボールは、来る家と出ていく家で出方が違う。これは十三年やって、身体で覚えたことだ。来た家は、一気に大量に出す。引っ越してきて、その晩か翌朝に、運んできた箱をぜんぶ開ける。だから開梱直後の段ボールが、一度にどっと集積所に積まれる。出ていく家は、出ない。荷物は箱に詰めて、箱ごと持っていくからだ。だから集積所の段ボールが急に増えるのは、たいてい誰かが出ていったサインではなくて、誰かが来たサインなのだと思う。

束を見れば、家族の形が少し分かる。単身用の小さな箱ばかりの束がある。引っ越し業者の単身パックのロゴが、側面に同じ向きで刷ってある。それが十も二十も同じ向きで畳まれていると、几帳面な一人暮らしが越してきたのだろうと想像がつく。家族用の大箱が混じる束は別だ。食器の入っていた仕切りつきの箱、衣装ケースの外箱、子どもの自転車らしい細長い箱。同じ集積所でも、束ごとに家族の人数が違って見える。

紐の結び方が、その家の手の癖を見せる。古紙は十字に縛って出すのが指定だ。きっちり十字に、結び目を上にして、緩まないように縛ってある束がある。そういう束は、たいてい畳み方も几帳面だ。角がそろっていて、大きさ順に重ねてある。逆に、紐がだらしなく一回りだけで、束が崩れかけているものもある。結び方と畳み方は、不思議といつも揃っている。手の癖というのは、結び目にも畳み目にも、同じように出るものなのかもしれない。

雨に濡れた段ボールは、重い。三月の終わりは雨が多い。前の晩に出された束が朝まで雨に当たると、水を吸って、見た目の倍くらいの重さになる。放り込むとき腰にくる。乾いた束ならひょいと積めるものが、濡れていると両手でかかえることになる。引っ越しの段ボールは数が多いから、雨の日の古紙は、いちばんきつい。けれど、濡れて重い束ほど、その家が昨日まで誰かの荷物だったことが、手のひらに伝わってくるような気がするのだ。

積み込みには裏技がある。畳んだ段ボールは、立てて荷箱の壁に沿わせると、ぐっと多く積める。寝かせて放り込むと、あいだに空気が入って、すぐ満杯になってしまう。三月最終週は量が多いから、立てて積めるかどうかで、処理場へ行く回数が変わる。新人のころは寝かせて積んで、午前のうちに二度も処理場を往復した。いまは身体が、立てて積む順番を覚えている。

同じ家から、二年でまた段ボールが出ることがある。転勤族だ。二年か三年で、また開梱直後の束が、同じ集積所にどっと積まれる。そうかと思えば、十年、一度も引っ越しの束を出さない家もある。私はその家を知らない。会ったこともない。ただ、古紙の日に何が出るか出ないかで、その家がこの町にどれくらい根を張っているのかが、なんとなく分かってしまう気がする。

四月の頭になると、束はまた減る。来た家はもう開け終え、出ていく家はもともと出さない。集積所はふだんの顔に戻る。すかすかになった古紙置き場を見ながら、私は次の集積所へ車を動かす。あの束を出した家の人たちは、いま、新しい部屋で暮らしはじめているのだろう。

集積所の段ボールは、いわばこの町の引っ越し台帳なのだ。誰が来て、誰がここに根を張り、誰が出ていったか。表の玄関では分からないそれが、畳まれた束と十字の紐に、ぜんぶ記されている。それを毎朝めくって読んでいるのが、私たちなのだと思う。今日も水曜、古紙の日。私のパッカー車は、台帳をめくりながら、町を走る。

——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。

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このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。