十二月三十日の、収集
一年でいちばん、ごみが雄弁になる日

シノハラダイチ(35歳・ごみ収集作業員13年)

十二月三十日は、年内最後の収集日だ。年の瀬の町には、なんとなく落ち着かない空気が流れている。どの家も、片づけと、買い出しと、間に合わせることで気が立っている。私たちのパッカー車は、その朝もいつものルートを回りはじめる。けれど、いつもとは違う。量が違うのだ。

年末は増車になる。普段は二人で一台のところ、最終日だけは応援が付いて、班が増える。それでも追いつかない。大掃除のごみが、町じゅうから一斉に出てくるからだ。可燃の袋がパンパンに膨れて、結び目が引きちぎれそうになっている。一年で最も多い日だと言ってもいいだろう。

三十日のごみは、内容が違う。普段の生ごみや包装ではなく、家の奥から出てきたものが並ぶ。色のあせたカーテン。骨の折れたすだれ。枯れた観葉植物が、鉢ごと出されている。土の重みで、放り込むとき腰にくる。一年のあいだ窓辺にいたであろうものが、最後の日に、まとめて出てくる。

とりわけ覚えているのは、輪ゴムで束ねられた、去年の年賀状だ。書き損じではない。一年前に届いた、一年分の年賀状の束。表に住所と名前が並んでいるのを、私は放り込みながら、見ないようにして見る。差出人の名前まで読めてしまう。誰がこの家に、去年の正月、あけましておめでとうと書いたのか。その束が、可燃の袋の中で、もう一度ぜんぶ捨てられる。

おせちの重箱の、空き箱も出る。通販のおせちが届いた、その外箱だ。発泡スチロールの保冷材と、黒い紙箱。三十日の朝に空き箱が出ているということは、その家はもう年を越す準備ができている、ということなのだろう。早い家は、しめ飾りももう玄関に出している。地域によって、出す時期は違うのだけれど。

三十日には、貼り紙が出る率が上がる。「今年もお世話になりました」。可燃袋の一番上に、マジックで。あの夏の一枚から、私は貼り紙を読む人間になってしまった。私の体感では、ふだんの十倍は出る。名前のあるものも、ないものもある。年の瀬の町の温かさが、青いネットの下に集まっているような気がして、少し胸が熱くなる。

けれど、量が倍になっても、収集の時刻はほとんど変えられない。最終便の時刻は決まっている。だから、走り方が変わる。一か所、四十秒。これは縮められない。縮められないなら、車から集積所までの三歩を、二歩半にするしかない。軍手は午前のうちに替える。一年でいちばん、手のひらが擦り切れる日だ。汗が出る。十二月なのに。

面白いのは、年明けだ。一月四日ごろ、年明け最初の収集に出ると、ごみが意外に少ない。あれだけ出した三十日の反動なのか、それとも、まだ正月でみんな動いていないのか。空いた集積所のネットをめくると、青いネットの下が、すかすかして見える。町が、まだ息を整えている。

三十日のごみは、その一年で、いちばん雄弁だ。何を捨て、何を残したか。誰に去年あけましておめでとうと書かれたか。どの家が、もう年を越す支度を終えたか。立ち止まる暇はないけれど、四十秒のあいだに、町の一年が、ぜんぶ青いネットの下に書かれている。集積所は、町の日記なのだ。私はそれを、毎年、いちばん忙しい日に、いちばんたくさん読む。

——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。

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このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。