診察室のカーテンの開け閉めの作法
患者が引くのか、医師が引くのか

フジワラレン(研究助手)

大学の保健センターでのこと。腹部の検査を前に、案内された診察室のカーテンの前で、私はいつも立ち尽くしてしまう。このカーテンは、患者である私が引くべきものなのか、それとも先生や看護師さんが引いてくれるものなのか。毎回、ほんの短い時間なのだけれど、その一瞬の迷いが、私を複雑な気持ちにさせる。

ある日は、先生が「どうぞ」とだけ言って、診察室の奥にある椅子を指した。私はそれに従って、開け放たれたままのカーテンの横を通り、椅子に腰を下ろした。視線が、開いたカーテンの隙間から廊下へ吸い込まれるようで、そわそわする。結局、その日はカーテンが閉じられることはなかった。それでも検査は淡々と進み、私は服を整えて診察室を出た。

また別の日。同じ保健センターの、別の先生の診察室。今度は看護師さんが「こちらへどうぞ」と促し、私が中に入ると同時に、すっとカーテンを引いて閉めてくれた。その瞬間の安心感は、先日のそわそわとは対照的だった。カーテンの向こう側で服を脱ぎ着する間、私は自分だけの空間に守られているような気がした。看護師さんのさりげない配慮が、私にはとてもありがたかった。

最も困惑するのは、どちらでもない場合だ。先生が先に診察室へ入り、「着替えてお待ちください」とだけ声が聞こえる。カーテンの前で、私は立ち止まる。自分で引くべきか、先生が戻ってきてから閉めてくれるのを待つべきか。数秒で考え、結局、おそるおそる自分でカーテンを引く。「これで合っているのか」という小さな疑問符が、検査への緊張に拍車をかける。

診察を終え、服を着終えてカーテンの前に立つ。今度は私が開ける番なのか、先生が「もう大丈夫ですよ」と声をかけてくれるのを待つべきなのか。多くの場合、先生はデスクに戻っており、指示はない。私は静かに、自分でカーテンを開ける。その一連の動作に、明示的なルールはなかった。

「失礼します」「お入りください」。それぞれの言葉に、どのような意図が込められているのか。患者は閉鎖された空間で安心して診察を受けたい。しかし、その「安心」に至るまでの段取りが、これほどまでに曖昧なものだとは。カーテン一枚の開閉が、診察室での私と先生の間に、目に見えない距離を作っていた。

「失礼します」と声をかけてカーテンが開く瞬間、あるいは「お入りください」と促されるまで、患者はただ静かに待つ。この見えない合図のやり取りが、診察という密室の中で、互いの境界線を模索する様に見える。

保健センターの診察室を出て、廊下を歩く。これから先、別の検査を受ける際にも、きっと同じようにカーテンの前で立ち止まるだろう。そのたび、私は「今日の作法」を探すことになる。明確な答えはなく、その一瞬の逡巡が、診察室の空気の一部として心に残る。

——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。

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このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。