シオミタクマ(45歳・河川の水門管理員23年)
出水期が終わると、川は静かになる。六月から十月、私が眠れずに水位計を見に行く季節が過ぎると、水門は長い待機に入る。冬の川は穏やかで、水は澄んで、何も起こらない。だが、何も起こらない季節にこそ、私の本当の仕事がある。
冬の仕事は、注油と塗装と部品交換だ。巻き上げ機のワイヤーにグリスを差し、ゲートの戸当たりのゴムを替え、操作盤の動作試験をする。夏のあいだ門を一度も動かさなかった年でも、いや、動かさなかった年ほど、冬の手入れは念入りになる。動かないことと、動けることは、別のことだから。
窓の外には雪がちらつき、詰所の中には機械油の匂いが静かに満ちていた。私はグリスガンを手に取り、巻き上げ機のワイヤーに向き合う。鉄の太い縄が、油を吸って黒く光る。撚られた鋼線の一本一本に油が回るよう、私は時間をかけて差していく。たぶん、これが二十三年で身についた手つきなのだろう。
戸当たりのゴムは、出水期のあいだに少しずつ硬くなる。門と土台のあいだの、わずか数センチの隙間を埋めるためのゴムだ。これが硬くなると、閉めたときに水が漏れる。指で押して、弾力を確かめる。硬くなっていれば、替える。古いゴムを外すと、その下に去年の出水期の砂が薄く残っていた。あの夏の水が、ここまで来ていたのかもしれない。
月に一度、操作盤の動作試験をする。実際に水を止めるわけではない。ボタンを押し、ランプが点り、モーターが唸り、門がほんの少し動いて、また戻る。それだけのことだ。だが、この「それだけ」を毎月くり返しておかないと、いざというとき門は動かない。動かない季節に、動くことを保証する。それが、冬の仕事なのだ。
いちばん冷える朝の試運転は、音が違う。夏に聞く機械の音と、凍る朝の機械の音は、まるで別の生き物のようだ。油が冷えて重くなり、モーターがいつもより低く、苦しそうに唸る。私はその音を聞きながら、機械もまた寒さに耐えているのだと感じる。冬の朝の試運転は、どこか祈りに似ている気がする。
点検記録を見返すと、「異常なし」の文字が並んでいる。出水期に一度も門を動かさなかった年の記録は、ほとんどがこの四文字だ。だが私は知っている。動かなかったことと、動けることは別である。記録の「異常なし」は、何もしなかった証ではなく、冬じゅう手を入れつづけた証なのだ。
冬には、もうひとつの仕事がある。来年の出水期に向けた部品の発注書を書き、予算要求の書類をつくる。戸当たりゴム何メートル、グリス何キロ、交換部品の型番。機械に油を差すのと同じように、私は書類にも数字を差していく。現場の管理と、紙の上の管理。どちらも、何も起こさないための備えなのだ。
冬の川は、水位がいちばん素直だ。雨もなく、雪解けもまだ遠く、川面はただ静かに流れていく。私はその川を見ながら、グリスの匂いのする手を温める。動かない季節に、動くことを保証する。何も起こらない冬を念入りに過ごすことが、来年の夏、何も起こさないための、たったひとつの方法なのだ。これが、この仕事なのだと思う。
——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。