シオツキメイ(45歳・茶師23年)
茶師という仕事を、二十三年続けている。農家から届く荒茶を仕上げ、何種類かを合わせて、店の看板になる一つの味を作る。これを合組という。一人で淹れて飲むお茶には、ほどけていくような一服の安らぎがあるけれど、私の仕事は、その安らぎを毎年同じ顔で店先に並べることのほうだ。
合組という言葉を初めて聞いたのは、二〇〇三年、二十二歳でこの問屋に入った年だったと思う。荒茶というのは、農家が摘んで一次加工までしたお茶のことで、そのままでは味が暴れている。産地ごとに、畑ごとに、年ごとに、香りも渋みもばらばらだ。それを合わせて、一つの味に落ち着ける。社長は私に、「うちの看板の味は、毎年同じだ。でも茶は毎年違う。同じ味を作るために、毎年違う組み方をする。それが合組だ」と言った。
その意味が、入ったばかりの私にはよく分からなかった。同じ味を作るなら、同じものを同じだけ混ぜればいいではないか。けれど先輩たちは、毎年、配合表を書き換えていた。今年の静岡は渋みが強いから減らす、鹿児島の早摘みで火入れの香りを足す。表の数字は、去年とはまるで違っていた。それなのに、出来上がった味は、去年とそっくり同じなのだった。
味を見るための儀式を、拝見という。専用の白い碗に荒茶を入れ、形、色、香り、味を順に見ていく。白い碗の中で、茶の色がいちばん正直になる。先輩は碗を片手で回しながら、ほんの少し啜っては、すっと吐く。一日に何十種も見るから、飲み込んでいたら身がもたない。私は最初、その音の出し方も、吐く呼吸も、ただ真似ることしかできなかった。
仕上げには火入れがある。荒茶を焙じて、最後の香りを決める焙煎だ。温度と時間で、同じ茶がまるで違う顔になる。火入れの香りが立ちのぼってくると、工場じゅうが甘く包まれて、なんだか心がほどけていくようだった。ここで強く入れすぎれば香ばしさが勝ちすぎ、弱ければぼやける。社長はその加減を、温度計ではなく鼻で決めているように見えた。
合組の難しさは、頭の中にある在庫の地図にもあった。倉庫には何十種もの荒茶が眠っていて、どれがどれだけ、いつ仕上げると味が乗るか、先輩たちはそれを諳んじていた。私には、ただ番号の振られた袋が並んでいるようにしか見えなかった。地図を持っている人にだけ、合組はできるのだと思う。私の頭の中には、まだ地図がなかった。
新茶の季節になると、産地を回った。同じ農家の、同じ畑でも、出来は年で変わる。日照りの年、雨の多い年、霜にやられた年。農家のおじいさんは畑を見ながら、「今年は走りが早い」と言った。その一言が、秋の配合表の数字を動かすのだと、後になって分かった。味は工場で作るのではなく、畑から始まっているのだった。
やがてペットボトルのお茶が、どこの売り場にも並ぶ時代になった。急須で淹れる人は、目に見えて減っていったように思う。それでも、私たちの看板の味を、毎年買いに来てくれる人がいた。売り場は変わっても、看板の味は変わらない。変わらないために、私たちは毎年、違う組み方をしていた。変わらないものを守るとは、こういうことなのかもしれない。
あれから二十三年。私はいつのまにか、今年の茶の観察者になっていた。同じ味を作るために毎年違う組み方をするという、あの矛盾を生きること。それが、私をいまの私にしてくれたのだと思う。今日も拝見の白い碗の中で、今年の茶が、去年とは違う顔をして、私を待っている。
——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。