シオツキメイ(45歳・茶師23年)
仕上げの火入れは、荒茶を焙じて、その茶の香りを最後に決める工程だ。摘んで一次加工までした荒茶には、まだ青い匂いが残っている。その青さを抜き、香ばしさに変える。同時に水分を二割から三割に落として、保存も利くようにする。火を入れて初めて、茶は店に出せる。
火入れには温度と時間の設計がある。看板の煎茶は百十度で、香りが立ったところで早めに止める。番茶は百三十度まで上げて、香ばしさを深く入れる。同じ荒茶でも、止める温度と秒数が違えば、別の茶になる。商品ごとに、私は止める一点を決めている。
季節でも、止める一点を動かす。新茶は浅く入れる。摘みたての若い香りを残したいから、煎茶の百十度を百五度に下げて、早めに止める。秋から冬の茶は深く入れる。寒い朝に淹れられる茶は、香ばしさが濃いほうが効く。客がこの茶をどの季節に淹れるか、そこまで数えて、私は火の深浅を決める。
火入れ機の前では、温度計の数字を見ながら、排気の匂いを嗅ぎ続ける。最初は刈ったばかりの草のような青い匂いがする。それがふっと切れて、栗を焼くような香ばしさに変わる。さらに進むと、香ばしさの底に、紙が焦げる前の乾いた匂いが立ちはじめる。その匂いが立つ手前で火を止める。百十度という数字は、止める目印にすぎない。止める一点を教えるのは、いつも鼻だ。
怖いのは、火入れ過ぎだ。香ばしさを欲張って、もう少し、もう少しと焙ると、焦げの一歩手前に来る。その一歩を越えれば、茶は焦げる。焦げた茶は戻らない。火入れは、戻れない工程だ。二十二歳の年、私は欲を出して、五秒、止めるのを遅らせた。一釜分の煎茶が、底に焦げの匂いを抱えた。社長は一啜りして、すっと吐いた。「これは番茶だ」。煎茶として出すはずの一釜が、私の五秒で番茶に落ちた。
火を止めたら、火入れの前と後を湯呑みに淹れて、並べて飲む。前のは青くて、舌に角が残る。後のは、香ばしさが立って、角が丸くなっている。狙った一点に届いたか、湯呑みの中で検算する。届いていなければ、次の釜で温度を二度下げるか、秒数を五つ削る。最後に決めるのは、温度計ではなく、口の中だ。
去年、いつもの客が看板の煎茶を買いに来て、淹れもしないのに袋の口を開けて、ひとつ鼻を寄せた。それから、笑った。「ああ、これこれ」。私は店の奥で、湯呑みも温度計も見ずに、その横顔だけを見ていた。百十度の手前で止めた、あの一点が、客の鼻の中で当たっていた。
二十三年、私は同じ荒茶を、同じではない温度で止め続けてきた。今年の青さは、去年より少し強い。だから今年は、止める数字を一度上げる。火入れ機の前に立ち、温度計を見て、排気に鼻を寄せて、今年の青さが切れる一瞬を待つ。その一瞬を、今日も私は鼻で当てる。