火入れの、温度
荒茶を焙じて、その茶の香りを最後に決める

シオツキメイ(45歳・茶師23年)

仕上げの火入れは、荒茶を焙じて、その茶の香りを最後に決める工程だ。窓の外は静かで、火入れ機の前にはあたたかな茶の香りが満ちていた。摘んで一次加工までした荒茶には、まだ青臭さが残っている。その青さを抜き、香ばしさに変える。同時に水分を飛ばして、保存も利くようにする。火を入れて初めて、茶は飲める茶になるのだと思う。

火入れには温度と時間の設計がある。強い火で短く焙れば、香ばしさが立つ。弱い火でゆっくり通せば、上品な香りに仕上がる。同じ荒茶でも、強火で焙ったものと弱火で焙ったものは、まるで別の茶になる。看板の煎茶は弱火で上品に、番茶系は強火で香ばしく。商品ごとに、火入れの個性が決まっている。香りに込めた想いが、この設計に表れているのかもしれない。

火入れは季節でも変える。新茶は浅く入れる。摘みたての若い香りを残したいから、火は控えめにする。秋から冬の茶は深く入れる。寒い季節に飲まれる茶は、香ばしさが濃いほうが体に染みる。飲む人がどの季節にこの茶を淹れるか、そこまで考えて火の深浅を決めるのだ。茶を飲む人の暮らしに寄り添う、やさしい工程なのだろう。

火入れ機の前では、ただ嗅ぎ続ける。機械には温度計がついていて、私はその数字を見る。けれど数字だけでは決まらない。排気の香りが、時間とともに変わっていく。青い匂いが切れて、香ばしさに変わり、やがて焦げの予感が立つ。その香りの移ろいで、頃合いを知る。数字と鼻の、両方で見るのだ。私は機械の前を離れられない。

怖いのは、火入れ過ぎだ。香ばしさを欲張って、もう少し、もう少しと焙っていると、焦げの一歩手前に来る。その一歩を越えれば、茶は焦げる。焦げた茶は、もう戻らない。火入れは、戻れない工程なのだ。私が若い頃、欲を出して、焦げに傾けてしまったことがある。一釜分の荒茶を、私は台無しにしてしまった気がした。

火入れの前と後で、湯呑みに淹れて飲み比べる。火入れ前の荒茶は、青くて、まだ角がある。火入れ後は、香ばしさが立って、丸くなる。狙った香りに、ちゃんと届いたか。湯呑みの中で確かめる。届いていれば、それでいい。届いていなければ、次の釜で火を調整する。最後は、いつも湯呑みが教えてくれた。

火入れの設計図が、私の頭の中にはある。どの商品を、どの季節に、どの温度で、どれだけの時間焙るか。その設計図を、私は二十三年かけて描いてきた。お客さんは知らない。けれど、湯呑みから立つあの香りは、私が温度と時間で書いた、私の文字なのだ。

香りは、茶師の署名なのだ。同じ荒茶でも、誰が火を入れるかで、立ちのぼる香りが変わる。私の火入れには、私の署名が残る。二十三年、私はこの署名を書き続けてきた。今日も火入れ機の前で、私は排気の香りを嗅ぎ、温度計の数字を見て、私の香りを茶に書き込む。それが、私の仕事なのだと思う。

——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。

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このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。