新茶の、産地
四月から五月、南から北へ上る新茶前線を追って

シオツキメイ(45歳・茶師23年)

新茶の季節は、一年でいちばん忙しい。四月から五月にかけてのほんの数週間が、勝負だ。新緑の薫風が頬をなでる頃、私は白碗と湯を持って、産地から産地へと車を走らせる。畑の横でその年の出来を見る、この数週間のために、一年がある。

摘み始めは、産地によってずれていく。暖かい南の鹿児島から始まって、静岡、そして北へと、新茶前線が上っていく。農家から「明日摘む」と連絡が入れば、私はその日のうちに車を出す。日程は自分で決められない。茶の木が決める。電話が鳴るたびに、地図の上を北へ北へと予定が動いていった。

農家の庭先で、拝見をする。問屋の拝見場ではなく、畑のすぐ横で見るのだ。持参した白碗に、摘んだばかりの荒茶を量り取り、持ってきた湯を注ぐ。畑の土の匂いと、いま立ちのぼる新茶の香りが、同じ風の中で混じる。工場の拝見場では決して分からない、その年その畑の素の顔が、庭先には出ている気がした。

買い付けには、二つのやり方がある。市場の入札と、相対だ。入札は札を入れて競る。相対は、農家と顔を突き合わせて、値段を決める。「今年のこれは、いくらだ」と私が言い、「いや、それでは合わない」と農家が返す。顔の見える取引というのは、こういうものなのだろう。茶の値段は、紙の上ではなく、庭先の沈黙の長さで動くように思えた。

遅霜の年は、計画がすべて狂う。一晩の霜で、畑の表情が変わってしまう。芽が赤茶けて、その年その畑の茶は、もう去年の顔ではなくなる。ある年、予定していた畑が一晩でやられて、私は車の中で買い付け計画を引き直した。あてにしていた産地が消えれば、別の産地で埋めるしかない。新茶前線は、霜の前線でもあった。

産地を回っていると、地図そのものが毎年描き替えられていることに気づく。長く付き合った農家が、「今年で畑をやめる」と言う。後継ぎがいない。その隣で、若い人が新しく茶を始めていたりもする。廃園の知らせと、新規就農の噂とが、同じ春に届く。産地の地図は、固定された絵ではなく、毎年少しずつ書き換わる生き物なのかもしれない。

数週間の産地回りを終えて問屋に戻ると、買い付けた新茶が山になって並んでいる。鹿児島の早いやつ、静岡の遅いやつ、霜を逃れた畑の、霜にやられた畑の代わりに急いで足した産地の。この山が、これから一年かけて組んでいく合組の、土台になる。産地で見た一つひとつの顔が、袋に詰まって、私を待っている。

新茶の季節の数週間は、私にとって、一年でいちばん土に近い時間だ。畑の横で湯を注ぎ、庭先で値を決め、霜にやられた畑の前で計画を引き直す。産地を自分の足で回ることが、一年の合組の土台になるのだ。今年も新茶前線を追いかけて、私は北へ向かう。

——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。

辛口レビュー →
第二稿(改稿版)→
← シリーズ目次に戻る

このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。