貫目の、氷(第二稿)
家業に入った夏、氷の使われ方を見るようになるまで

シラトリレイ(42歳・製氷店三代目)

純氷は四十八時間かけて凍らせる。早く凍らせると、中に空気が閉じ込められて白く濁る。時間をかけ、水を動かしながら端から少しずつ凍らせていくと、空気は逃げる場所を持ったまま外へ抜け、最後まで透き通って固まる。父はそれを「氷は急ぐと濁る」と言った。氷の透明度は、待った時間の長さでできている。

家庭の冷蔵庫が作る氷は、製氷皿の中で四方を一斉に凍らせるから、中心に白い芯が残る。バーで一時間使う角氷には、それでは溶けるのが速すぎる。うちの氷は同じ大きさで倍はもつ。だからまだ、氷を買いに来る人がいる。

家業に入ったのは二〇〇九年、二十五歳の夏だった。最初に任されたのは角柱を切る仕事だ。純氷の角柱は一本で三十六貫、百三十五キロある。氷を量る単位に、いまも「貫目」が残っている。一貫は三・七五キロ。メートル法の世の中で、氷の値段だけが、なぜか貫で動いている。

初めて氷ノコを握った日のことを書く。父は「力で挽くな、刃の重さに任せろ」とだけ言った。刃を当てると滑った。力を入れると、刃先が氷の上を横へ逃げ、引いた線が斜めにずれた。途中で食い込んだところからは、しゃり、しゃり、と乾いた音がして、削れた氷が粉になって落ちた。切り終えた断面を父のと並べると、私のは光が二度屈折して、向こうが歪んで見えた。父のは、まっすぐ抜けた。

切った氷は、その日のうちに納品先へ出る。納品票を順に見ていく。バーには、アイスピックで割る用の角氷。寿司屋には、ネタを並べる平たい板氷。夏が近づくと、祭りのかき氷屋の伝票が綴りの厚みを変えていく。私は配達に付いて回りながら、伝票の綴りで町の季節を読むようになった。

かき氷の氷は難しい。職人は「刃当たり」と言う。庫から出したての氷は冷たすぎて、刃に当たると粉になって舞う。少し置いて表面がうっすら濡れたころ、刃は氷を薄く長く削り、口の中で溶けて消える。同じ純氷でも、私はバー向けの角氷と祭り向けの塊で、運ぶ前に置く場所の温度を分けた。氷は使われ方に合わせて、店を出る前から準備が始まっている。

氷屋の一年は極端だ。夏は戦争で、保冷車はマイナス五度を指したまま朝から晩まで走る。冬は注文がぱたりと止まる。閑散とした冬の間に製氷機を整え、来年の取引先に頭を下げて回り、氷ノコの刃を研ぐ。夏に生きて、冬に研ぐ。三十六貫を割った夏のあと、私の冬の仕事に、刃を研ぐことが加わった。

三十六貫の角柱は、いまも年に何百本と切る。何本切ったかは数えていない。覚えているのは、初めて挽いて斜めにずれた一本の切り口と、向こうが歪んで見えたあの断面のほうだ。氷は、誰のどんな一時間のために透き通っているのか。それを見るのが、私の仕事になった。

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このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。第一稿への辛口レビューを経て書き直した第二稿です。