シラトリレイ(42歳・製氷店三代目)
七月に入ると、うちの注文票は桁を変える。夏の日差しがきらめいて、町じゅうがいっせいに冷たいものを欲しがりはじめると、かき氷屋からの電話が鳴り止まなくなる。冬のあいだ静かだった製氷機が、また朝から晩まで唸りはじめる。氷屋にとっての一年は、この月から本当に始まる。
かき氷用の氷は、バーの角氷とは別の物だ。バーの氷は、グラスの中で一時間かけてゆっくり溶けてくれればいい。だがかき氷の氷は、削られるために作られている。求められるのは硬さでも溶けにくさでもなく、刃にどう削れるかという、たった一点だ。同じ純氷でも、行き先が違えば別の商品になる。
削る直前の氷の温度が、かき氷の食感のほぼ全てを決める。庫の奥でマイナス二十度近くまで冷えきった氷は、削るとざらざらの粉になって舞う。それを少し戻してやる。マイナス二度から四度のあたりまで、表面がうっすら濡れるくらいまで戻すと、刃は氷を薄く長く削り、ふわふわと積もっていく。「氷は温度で味が変わる」と客に言うと、たいてい驚かれる。けれど削る人間は、みんな知っている。
だから配達には、保冷箱の中の温度をどう作るかという仕事がついて回る。冷やしすぎれば店で削れない。ぬるければ角が落ちて溶けてしまう。注文の電話は、いまも貫目で来る。「日曜の祭りに、二十貫ほど」。一貫は三・七五キロ。私はその声を聞きながら、保冷箱に何度の氷を何本入れるかを、頭の中で組み立てている。
かき氷機の刃と氷には、相性がある。店ごとに機械が違い、刃の研ぎ具合も違う。よく回る店の主人は、自分の刃に合う氷の戻し方を、こちらより正確に知っている。「もう少し柔らかくしてくれ」と言われれば、配達前に置く場所の温度を変える。氷は、店を出る前から、その店の刃に合わせて準備が始まっているのだと思う。
夏祭りの日は、臨時便が出る。屋台の準備は昼前から始まるのに、行列ができはじめるのは夕方だ。最初に届けた氷だけでは足りなくなり、夕方、追加注文の電話が鳴る。「あと十貫、すぐに」。保冷車をもう一度走らせる。祭りの夜の、あの行列の一杯一杯が、朝にうちの庫にあった氷なのだと思うと、なんだか妙な心持ちになる。
お盆のピークになると、配送ルートはパズルになる。どの店の開店に間に合わせるか、どの順で回れば氷がいちばん良い温度のまま届くか。保冷車のドアを開け閉めするたびに庫内の温度は上がるから、開ける回数まで計算してルートを組む。汗だくで一日じゅう走り回って、夜にようやく注文票の束を見返す。その厚みが、夏の盛りそのものだった。
そして九月の声を聞くと、注文がふっと止む。あれほど鳴っていた電話が鳴らなくなり、保冷車は半分の積み荷で帰ってくる。夏の終わりは、空の色でも、風の匂いでもなく、注文票の薄さでやって来る。束が薄くなっていくのを手のひらで感じながら、私は静かな冬が近いことを知る。
夏に生きて、冬に研ぐ。それが氷屋というものだ。七月に桁を変えた注文票は、九月に薄くなって季節の終わりを告げる。私はその薄さを手で量りながら、また来年の夏まで、刃を研いで待つのだ。夏の終わりは、注文票で来る。それを知っているのが、氷屋なのだと思う。
——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。