シシクラゲン(48歳・遊園地の機械整備26年)
遊園地で機械を直す仕事を、二十六年続けている。客が乗るのは、コースターなら一周三分。観覧車なら十五分ほど。その三分のために、私たちは三時間見ている。昼の歓声を支えるために、夜のレールに膝をつく。夢の国は、誰かが暗いうちにボルトを締めているから、夢のままでいられるのだと思う。
二〇〇〇年の春、私は二十二歳で、ある遊園地の施設整備課に入った。配属初日、先輩に連れられて、まだ客の入らないコースターの前に立った。先輩は私に言った。「客は乗って三分、俺らは見て三時間。楽しいの裏は全部点検だ」。その言葉を、私はいまでも、毎朝のように思い出している気がする。
最初に覚えたのは、開園前の試運転だった。客を乗せる前に、空のコースターを一周させる。誰も乗っていない車両が、坂を登り、落ちて、カーブを切って、戻ってくる。その音を、台車の脇に立って聞く。チェックリストには異音と振動の欄があって、私は何を聞けばいいのか分からなかった。先輩は目を閉じて聞いていた。たぶん、正常な音の形が、頭の中にあったのだと思う。
歩行点検というものがある。コースターのレールを、朝、自分の足で歩く。一本ずつボルトを見る。前の日に締めたボルトには、白いペンでマーキングがしてある。ナットと土台にまたがるように引いた線。もしボルトが緩んで回れば、その線がずれる。線がまっすぐ繋がっていれば、ゆうべから今朝まで、そのボルトは動いていない。歩いて、見て、ずれた線を探す。それだけの朝が、何百回もあったように思う。
車輪の交換も、よく覚えている。コースターの車輪はウレタンでできていて、走るほどに摩耗する。一台分で何個あるか、私はすぐに数えられるようになった。ウレタンは、ある周期で必ず減る。減りきる前に替える。まだ使えそうに見えるものを、規定の周期だからという理由で外す。もったいない、と最初は思った。先輩は「もったいないは、客の側の言葉だ」と言った。
難しいのは、速い機械ではなかった。観覧車だった。あの大きな輪は、ゆっくり回ることが仕事で、ゆっくり回ることがいちばん難しい。風が強い日、いつ止めるかを判断する。風速計の数字と、ゴンドラの揺れと、空の色を見て決める。速い機械は止めればいいが、遅い機械は、止めるか回すかの境目が、いつも曖昧だった。たぶん、私はその曖昧さが少し怖かったのだと思う。
年に一度、休園日に大きな検査がある。遊戯機械には法律で決まった年次の検査があって、その日は機械を大きく分解する。ふだんは見えない軸や、車軸の内側を、一年に一度だけ目で見る。客の歓声がいっさいしない遊園地で、私たちは油にまみれて部品を並べる。観覧車が骨だけになっているのを、私はその日だけ見ることができた。
いちばん最後に身についたのは、悲鳴の聞き分けだった。コースターに乗った客は、みんな悲鳴を上げる。その悲鳴のほとんどは、楽しい悲鳴だ。けれど、ごくまれに、混じる。機械のほうの悲鳴が。金属が立てる、楽しくない音が。歓声の中から、それを一つだけ拾う。耳がそうなるまでに、何年もかかった。いまでは、音で分かる。
あれから二十六年。私はずっと、楽しいの裏側にいる観察者だった。誰も見ないレールのボルトを、一本ずつ確かめてきた。昼の歓声は、私には届かない場所で鳴っている。けれど、その歓声を支えているのが自分だと思うと、悪くない人生だったと思う。楽しいの裏が、私をいまの私にしてくれた。今朝も、始発前のレールを、私は歩いている。
——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。