ワタナベ(65歳・元会社員)
昭和の終わり頃、私はまだ若手社員で、休日は百貨店へ足繁く通った。ピカピカに磨かれた床、一階化粧品売り場の甘い匂いと地下食品街の香ばしい匂いが混ざり合う。天井からは控えめなBGMが流れているが、それよりも店内のざわめきの方が耳に残る。しかし、不意にチャイムが鳴り、スピーカーから「お客様、お呼び出しを申し上げます」という、わずかにこもったような女性の声が響くと、その喧騒が一瞬、ピタリと止まるのだ。
迷子のお知らせを覚えている。「赤い帽子に青い服をお召しになった、おおよそ五歳くらいの男の子でございます。心当たりのあるお客様は、お近くの係員までお申し出くださいませ」。あの丁寧な言い回し、だがどこか切羽詰まった響き。その声がフロアを横切るたび、あちこちで視線が交錯した。当時、売り場には白手袋の案内係が立っていて、声を聞くと、皆、一斉に顔を上げたものだ。私はその時、近くの休憩スペースで紅茶を飲んでいた。カップを持つ手がわずかに震えるのを感じた。あの声は、単なる情報伝達ではなかった。店という大きな生き物が、誰かのために一時停止し、ゆっくりと呼吸をしているような、そんな瞬間だった。
ある日、私は自分の同僚が呼び出されるのを聞いた。隣の部署の先輩で、得意先からの急な連絡だったと後で聞いた。その瞬間、フロアの誰もが、彼の事情を共有し、無言のまま見守るような空気が生まれた。誰もがスマートフォンを持つ今では、そんなことはもうありえないだろう。個人への連絡は、個人の端末へ。効率的で、プライバシーも守られる。それは時代の流れだ。しかし、この便利さの影で、私たちは何かを失ったのではないか。そう私は思う。
あの声が消えて久しい。今の百貨店は、より明るく、開放的な造りになった。商品も整然と並び、店員の対応もきめ細かい。だが、かつてあの声が作り出していた、ある種の緊張感や、人と人との見えない繋がりは、もうそこにはない。店全体を包み込む「声」の存在が、私たち客を、一つの空間にいる共同体として感じさせていた。それが今は、それぞれが個々の目的を淡々と果たしているだけに見える。便利になったのに、店は確かに、あの頃よりもずっと静かだ。あの声は、街の表情そのものだったのだ。