ワタナベの妻(匿名希望)
書店で見つけた終活ノートは、棚の奥で薄埃を被っていた。軽い気持ちで開いた最初のページ、ひんやりした紙の手触り。家族が困らないように、ただそれだけの目的だった。しかし、ページをめくるほど項目は増え、人生の細部を書き出す作業は、まるで過去を再構築するようだった。
口座番号を書き写し、保険証書をファイルから探し出して保管場所を記した。引き出しの奥で眠っていた古い通帳の残高にため息をつく。スマホのパスワードはメモに書き出した。古くなった連絡先リストを更新するうち、遠い友人の顔が浮かんだ。ペンは軽やかに走り、埋まっていくマス目は確かな手応えだった。
ところが、ある三つの項目で、私のペンはぴたりと止まる。「葬儀の希望」「遺影に使ってほしい写真」「最後に伝えたいこと」。それらのページだけは、何ヶ月経っても真っ白なままだ。他の項目が埋まったノートの中で、その空白は異様に目立っていた。そこには、私が向き合いたくないものがあった。
遺影。タブレットを開き、写真アプリをスクロールする。旅先の笑顔。子供を抱く若い私。友人とのふざけた一枚。どの顔も、あの四角いフレームに収まることを拒否しているようだ。特に、数年前の誕生日、夫がサプライズで撮ってくれた、少し酔って頬を赤らめた私が写る。それが一番私らしいと思う反面、こんな顔をずっと飾られたくないという嫌悪感がよぎる。結局、タブレットを閉じた。
選べない。
「最後に伝えたいこと」。この欄は一番手強かった。何度も書きかけては消す。「ありがとう」「ごめんね」「愛してる」。ありきたりな言葉が、鉛のように重く、嘘くさく感じる。ノートの隅に「後悔はない」と殴り書きし、すぐに消した。そんなはずがない。未来への言葉も、ただの気休めにしかならない気がした。伝えたいことは山ほどあるのに、言葉はどれも、その意味を伝えきれない。
ノートはテーブルの上に開かれたまま。真っ白なページが、蛍光灯の光を反射して眩しい。埋められない余白。私はそれを、もう直視したくなかった。