ソガベツヨシ(57歳・タクシー運転手23年)
タクシーを二十三年やっている。後部座席に背を向けたまま、知らない人とふたりきりで過ごす仕事だ。ルームミラーがあるが、私はあれで客の顔を見ない。あれは、見るための鏡ではなく、見ないための鏡だ。
三十四歳まで営業をしていた。客の目を見て、表情を読んで言葉を選ぶのが仕事だった。顔を読めば次の一手がわかる。会社が傾いて職を変えたとき、私は人の顔を読まなくていい仕事を選んだつもりだった。前を向いていればいい仕事を。
転職一年目の冬の深夜、街角で手が挙がった。深夜割増のランプが灯る時間だ。乗ってきたのは三十くらいの女性で、行き先を告げる声は落ち着いていた。復唱して、メーターを実車に倒した。カチ、と音がして、料金が回りはじめた。
走り出して五分ほどで、後ろの吐息が変わった。エアコンの送風に混じって、吸う息のほうだけが長くなった。泣くとき、人は吐く息より吸う息を抑えようとする。営業で覚えた、相手の呼吸を聞く癖が、こんなところで残っていた。私はミラーに目をやりかけて、止めた。
見れば、気づいたことになる。気づけば、声をかけるかかけないかを選ばねばならない。どちらを選んでも、この個室への口出しだ。前職で私が稼いでいたのは、まさにその口出しのほうだった。私は左手を伸ばして、ラジオのつまみを一段だけ下げた。会話を聞き取りやすくするためではない。聞こえなくてもいい、という合図を、自分に出すために。
あとは料金メーターの音だけだった。あの音は誰が乗っていても同じ間隔で距離を刻む。感情がない。私は黙っていられた。メーターが私の代わりに仕事をしていたからだ。
目的地で車を停めた。料金を受け取り、釣り銭をトレイに数えて返した。自動ドアを開ける。降りるとき、彼女は「ありがとうございました」と言った。普通の声だった。さっきまで吸う息を抑えていた人の声ではなかった。私も同じ言葉を返した。領収書のことは訊かなかった。
その夜の日報に、走行距離を書いた。何キロ走ったかは残る。車の中で誰が息をのんでいたかは、どこにも残らない。二十三年で、私は行き先だけ告げて降りるまで黙りとおした男も、料金を握った手の汗で札がふやけた客も乗せた。覚えているのは、その手だ。顔は一つも覚えていない。私が前を向いて、見なかったからだ。