穴を、開ける前
職人について一年目、壁の中を見ると決めるまで

ソメヤリツ(49歳・エアコン取付職人25年)

この仕事で一番重いものは何かと訊かれると、たいてい室外機だと思われている。三十キロ、四十キロ。腰でもやられるんだろうと。違う。一番重いのは、人の家の壁にコアドリルを当てて、押す前の、あの一瞬だ。開けてしまった穴は、戻らない。室外機なら明日また運べばいいが、穴は埋め戻しても穴を埋めた跡が残る。

二〇〇一年、二十四歳で親方について一年目だった。最初の半年はほとんど荷物持ちで、ドリルなんか握らせてもらえない。真夏の太陽が照りつける中、汗だくになって室外機を担いで階段を上がる、その繰り返しだったように思う。繁忙期になると一日五件。最後の現場では手が震えていた。

親方は、穴を開ける前に必ず黙った。下地センサーを壁に当てて滑らせ、針式の探知器で念のためもう一度刺して、それから三十秒くらい、何も言わずに壁を見ていた。柱がどこを通っているか。筋交いが斜めに入っていないか。コンセントの裏には配線が走っているし、台所に近ければ給排水の管も来ている。壁の中は見えない。けれど、見えるものはたくさんある。

「壁の中は見えない」と親方は言った。「見えないものを当てるんじゃない。見えるものから消去するんだ」。コンセントの位置、窓枠、隣の部屋の間取り、外壁に出ている配管の口。それを全部足していくと、ここは通してはいけない、という線が浮かんでくる。間柱はだいたい四五五ミリ間隔で立っている。その手前と奥の、安全な一点を選ぶ。

初めて自分でコアドリルを任されたのは、その年の夏の終わりだった。木造の二階、子ども部屋。親方が壁を指さして「ここ」と言い、僕は下地を確認して、養生シートを壁に貼って、ドリルを当てた。最初は石膏ボードの軽い手応え。そのあと合板の少し粘る感触。そして、すっと軽くなる。貫通だ。外の光が、開いた穴から細く差し込んできた。手応えが消えた瞬間の、あの妙な軽さは、今でも手が覚えている。

穴を開けたら配管を通す。冷媒管、ドレンホース、渡り線。ドレンは水が落ちる管だから、わずかに外へ下り勾配をつけてやらないと、室内に水が逆流してくる。親方は「水は正直だ」とよく言った。気持ちでは下がってるつもりでも、勾配が逆なら水は必ず溜まる。最後に真空ポンプを回して配管の中の空気と湿気を抜く。ゲージの針が落ちきって、しばらく動かないのを確認する。その確認も、結局は待つ時間だ。

あれから二十五年、何千個の穴を開けてきたかは分からない。けれど開ける前の三十秒だけは、今も必ず取る。若い子には「早く開けたいだろうけど、その三十秒をケチると、いつか他人の家の柱を切るぞ」と言っている。職人というのは、結局、開けるのが上手い人ではなくて、開けてはいけない場所が見える人のことなんだと思う。

僕はいつの間にか、人の家に入ると壁を見るようになった。あそこに柱がある、この壁は薄い、と勝手に見当をつけている。穴を開ける前のあの三十秒が、僕をいまの僕にしてくれたのだろう。見えないものは、最後まで見えない。だからこそ、見えるものを、いちばん長く見る。

——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。

辛口レビュー →
第二稿(改稿版)→
← シリーズ目次に戻る

このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。