核は強い。点検口の蓋を「斜めにずらして抜く」体の順番、引っかかった通線ワイヤーが「ふっと軽くなって先へ進む」手応え、そして倒れた同業者の話から来る二人一組のルール——「返事が遅れたら、すぐ上がる」。この三点で一本立つ。問題は、書き手がその三点を信用せず、入道雲だの「静かに満ちていた」だのの書き割りで場面を立ち上げ、最終段で「家のもう一つの顔」と主題を直叙して全部を解説してしまっていることだ。五十度の中を膝で這う男が、最後にこんなに涼しい顔で要約を書くはずがない。職業エッセイは、いちばん効く核を作者が言い換えはじめた瞬間に値打ちを落とす。
「窓の外には入道雲が高くわいていて、現場へ向かう車の中には、これから始まる暑さの予感が静かに満ちていた。」
入道雲、予感、「静かに満ちていた」。三点セットで「夏の職場」を安く仕入れています。二十五年この仕事をしてきた人間が車の中で感じる夏は、予感などという上品なものではない。エアコンの効かないハイエースの座席が尻に熱いとか、養生テープとグラスウールを今日何件分積んだかとか、そういうものです。「静かに満ちていた」は前作のレビューでも指摘された手癖で、この書き手の最も剥がすべきシールです。
「天井裏は、家のもう一つの顔なのだと思う。住む人が見る家と、僕が見る家は違う。」
これはエッセイの結論を結論として書いてしまった、いちばんやってはいけない型です。「もう一つの顔」は、どんな裏側エッセイにも貼れる量産フレーズで、ソメヤリツである必然がない。本文ですでに「下では家族が涼んでいて、その頭の上にこういう時間が積もっている」と具体で書けているのに、なぜそれを抽象語で言い直すのか。言い直すたびに、置き忘れたプライヤーやネズミの巣という実物の値打ちが下がります。
「見えないところに上がる仕事を通して、僕はいまの僕になったのだろう。いちばん暑い場所にこそ、家のいちばん長い時間が眠っている。」
前作のレビューと一字一句同じことを言わせてください——「〜を通して、僕はいまの僕になった」は成長譚の判子です。前作「外す、室外機」の末尾でも「外すという仕事を通して、僕はいまの僕になったのだろう」と書いていた。同じ判子を二回押している。「いちばん暑い場所にこそ〜眠っている」も格言の偽装で、観察ではない。最終段は丸ごと削ってよい。倒れた同業者の話で終われば、余韻は読者が自分で作ります。
「そういう夏かもしれない、と思う。」「僕はいまの僕になったのだろう。」
五十度の天井裏で十分作業して五分降りる段取りを、体で決めている人間です。その人の地の文が「かもしれない」「だろう」で逃げるのは、怯えではなく、断言を避ける作者の保険に見える。とくに塩タブレットをなめて軍手を絞った直後の「そういう夏かもしれない」は弱い。それは「そういう夏だ」と言い切る場面です。留保は、本当に分からないこと(点検口の下で黙った同業者が何を思っていたか、等)にだけ取っておくべきです。
「ネズミが通った跡——黒い粒と、断熱材を掻き出してこしらえた巣。」
「黒い粒」は概念であって観察ではない。実際にヘッドライトの灯りでネズミの跡を見た人間なら、もっと固有のものが出るはずです——糞が新しいか古いか(艶があるかパサついているか)、巣に何が混じっていたか(齧られた配線の被覆、断熱材の銀色のフィルム)。「黒い粒」で済ませているのは、その場に本当には潜っていない証拠に見えます。せっかく「家の履歴が落ちている」という良い視点を立てたのに、履歴の中身が一般名詞でできている。
「天井裏で見る家は、住んでいる人の知らない家だ。下では家族が涼んでいて、その頭の上にこういう時間が積もっていることを、誰も知らない。」
後半は良い。だが前半の「住んでいる人の知らない家だ」は、後半の具体がすでに言っていることを先回りして抽象で宣言している。さらにこれと同じ趣旨を最終段でもう一度(「家のもう一つの顔」)言う。一本のエッセイで同じ主題を三回(ここ、最終段の二文)唱えている勘定です。一回でいい。それも、できれば抽象語ではなく、白い四角い板を下から見上げる絵のほうで。
「その手応えは、壁に針を刺して空洞を当てるときのものと、どこか似ている。」
デビュー作「穴を、開ける前」を読んだ読者へのサービスのつもりかもしれないが、「どこか似ている」の「どこか」が逃げている。似ているなら、どこがどう似ているのかを動作で書く——どちらも「止まるか、通るか」を指先一点で読む、という具体まで踏み込めば自己引用が芸になる。「どこか似ている」で止めると、ただの内輪のウインクで終わります。残すなら踏み込む、踏み込めないなら削る。
残すべきは四つ。点検口を「斜めにずらして抜く」体の順番、通線ワイヤーが「ふっと軽くなる」手応え、置き忘れられた一本のプライヤー、そして倒れた同業者と「返事が遅れたら、すぐ上がる」というルール。削るべきは、入道雲と「静かに満ちていた」の書き割り、「家のもう一つの顔」の直叙、最終段の主題解説と自己赦し、留保語尾。改稿では、ネズミの跡を固有の物として書き直し、通線と壁の針の類比は動作まで踏み込むか切るかどちらかにし、終わりは点検口の白い板か、倒れた男の沈黙で止めてください。意味は、五十度の中で体が覚えた動作が運ぶ。格言が運ぶのではない。