ソメヤリツ(49歳・エアコン取付職人25年)
付ける仕事ばかりだと思われているが、外す仕事もある。引っ越し、買い替え、家の取り壊し。役目を終えた機械を壁から下ろす日だ。付けるときは穴を開ける。外すときは、その穴があとに残る。窓の外には灰色の雨雲が低く垂れていて、外したあとの部屋には、使われなくなった機械の匂いが静かに残っていた。
外す手順は、付ける手順をそのまま逆にたどる。けれど一番大事なのは最初の数分だ。ポンプダウンという。エアコンの中に回っている冷媒ガスを、室外機の中へ閉じ込めてから配管を切る。順番がある。まず室外機の細いほうのバルブ——液側を六角レンチで閉める。運転させたまま、太いほうのガス側を見て、頃合いで閉める。針が落ちる。それからコンセントを抜く。ガスを大気に逃がさないための、たった数分の手順だ。
この数分を省く業者がいる、と聞いたことがある。バルブを閉めずに配管をいきなり切れば、ガスは「プシュッ」と音を立てて空へ抜ける。早い。次の現場に間に合う。けれど冷媒は温室効果ガスで、二酸化炭素の何百倍も地球を温める。僕がポンプダウンを省かないのは、立派な理由があるからではないのかもしれない。ただ、針が落ちきるのを見ないと、仕事を終えた気がしないだけだ。
配管を切り離す。冷媒管の継手をスパナで緩めると、わずかに残った圧が指先に伝わる。渡り線を外し、ドレンホースを引き抜く。十五年動いた室外機を、最後にもう一度持ち上げる。裏を返すと、誰も見たことのない景色がある。フィンの隙間に詰まった綿埃、配管の影に張られた蜘蛛の巣、その巣に絡んだ虫の殻。日の当たらない裏側で、十五年分の時間だけが静かに積もっていた。
外したら、壁の穴をどうにかしなければならない。次にまた付けるなら、塩ビのキャップで塞いでおく。もう付けないなら、パテで埋める。指で押し込んで、表面をならす。けれど、何をどうしても、埋めた跡は残る。クロスの色は穴のまわりだけ少し違っていて、そこに機械があったことを、壁が覚えている。
室外機を下ろした壁には、四角い跡が残る。日に焼けていない、まわりより白い四角。十五年、そこに室外機が立っていた証拠だ。室内のエアコン本体を外したあとの壁にも、同じ四角がある。日焼けの境目がくっきりしていて、僕はいつも、その白い四角の前で少しだけ手を止めてしまう。「この部屋、夏どうするんですか」と訊きそうになって、訊かない。それは僕の仕事ではない。
外したエアコンには行き先がある。家電リサイクル法で、リサイクル料金を払い、券を貼って引き渡す。まだ動く機械もある。十五年で壊れたわけではなく、ただ家のほうが先に役目を終えただけの機械が、それでも捨てられていく。リサイクル券に控えのちぎり目を入れながら、まだ冷える機械だ、と思う。思うだけだ。
不思議なもので、新築に付けに行く日と、取り壊す家から外す日が、同じ週に来ることがある。午前に真新しいクロスへコアドリルを当て、午後にはもう住む人のいない家で、十五年分の埃をかぶった室外機を下ろしている。付けると外す。穴を開けると、穴を埋める。同じ手が、まるで逆のことをしている。
外す仕事は、付ける仕事の影なのだと思う。誰も写真に撮らないし、引っ越しのアルバムにも残らない。けれど壁の四角い跡も、室外機の裏の埃も、たしかにそこにあった時間の証だ。外すという仕事を通して、僕はいまの僕になったのだろう。見えないところにこそ、いちばん長い時間が積もっている。
——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。