スドウリュウセイ(42歳・花火職人20年)
二〇〇六年、二十二歳で工場に入った。最初の半年は星掛けだった。星というのは、空で光る粒だ。火薬の核を回転する釜に入れ、火薬を溶いた液をかけては乾かす。何度も繰り返して、星は径を増していく。乾いたかどうかは、目では決めない。手のひらに転がして、重さと、表面がかわく音で決める。湿った星は、ころがる音がにぶい。
乾燥場には木の棚があった。星の表面が指に吸いつくようになったら、湿気が来ている合図だ。そういう日は棚を奥へ入れる。私はまだ星の良し悪しを音で聞き分けられず、親方が「これはまだ」と言って釜に戻す星と、「上がり」と言って分ける星の、どこが違うのか分からなかった。
星が上がると、玉込めだ。玉皮という半球の紙の器の内側に、星を一粒ずつ、同心円に並べていく。外の層、内の層、芯。割物は球だから、込めも球の設計図でなければならない。私が初めて込めた半球は、層と層の間が、外周で四つ、奥で二つ、星の数が合わなかった。割れば、空で片側だけ密に咲く。込めた者には、どこがどう乱れるか、最初から見えている。
親方に言われた。「夜空を想像するな。断面を想像しろ。割物は、込めた通りにしか開かない」。菊と牡丹の違いも、空ではなく手で覚えた。菊にする星は尾を引くよう仕込んだ星を使い、外へ向けて寝かせ気味に置く。牡丹は点で光る星を、層に対してまっすぐ立てる。寝かせるか、立てるか。私の指の角度が、そのまま空の花の形になった。
火薬の場には決まりがある。作業に入る前、誰もが入口の金具に手を触れる。冬の金具は、痛いほど冷たい。その冷たさで体の静電気が抜ける。一度に多くを集めず、工程ごとに小屋を分ける。理屈は教わったが、体に入ったのは理屈ではなく、あの金具の冷たさのほうだった。込めをしているあいだ、私の指は層のことしか考えていなかった。
込めた玉は、半年後の夏に打ち上がる。冬に私の指が並べた星が、夏の夜に空で割れる。当日、私は筒場にいた。導火に火が走り、玉が筒を出て、上空で玉皮が割れて、星に一斉に火が移る。客席から歓声が上がった。みんな、上を向いていた。
私は、片側だけ密に咲いたその一発を見ていた。外周で四つ、奥で二つ。冬に合わなかった層の数が、夏の空で、片側だけ濃い花になっていた。誰も気づかない。私だけが、自分の指の角度を、空に読んでいた。
あれから二十年。空に開いた花を見上げるたび、私は手のひらの半球を思い出す。客の歓声の向こうで、私はいつも、込めた者にだけ見える乱れを探している。今年も冬になれば、また星を立てるか、寝かせるかを、指で決める。