スドウリュウセイ(42歳・花火職人20年)
前日の夕方、主催者から電話が来る。「明日、どうですか」。私は空を見ない。気象庁の風の予報を見る。雨ではなく、風を見る。花火は、雨より風に弱い。
雨は、玉を濡らさなければ上がる。導火に覆いをかけ、筒に水が入らないようにすれば、小雨くらいは打てる。風は別だ。横なぐりの風の中で割物を上げれば、円であるべき花が片側へ流れて崩れる。逆に、まったくの無風も困る。煙が居座って、次の玉が見えなくなる。風速何メートルまで打てるか、その数字を私たちは持っている。けれど怖いのは平均風速ではなく、風向きが変わることだ。
主催者の机に、会場の図を広げる。筒場の印に鉛筆の先を置く。「ここが要です」。そこから扇を描く。火の粉が落ちる保安距離は、風下に長く伸びる。鉛筆を客席のほうへ滑らせる。「風がこっちへ振れると、この扇が回って、客席がこの中に入る」。図の上で、扇の弧が観客席の文字をなぞった。主催者が黙った。私はその夜、順延を進言した。台風が、予報より遅れて停滞していた。
玉を保管庫に戻す。込めた星は、空気中の水を吸う。一度湿気を吸った星は、上がっても火付きがにぶる。除湿機を回し、玉を棚の奥へ入れ、扉を閉めた。予備日は三日後。三日のあいだ、私は朝晩、湿度計を見にいった。庫内は六十二、三を行き来していた。扉を開けるたびに針が五つ跳ね、閉めるとゆっくり戻る。六十五を超えたら、除湿機をもう一台足すつもりだった。星の表面を指で転がす。吸いつかない。まだ、もつ。
予備日も、雨と風だった。台風は、まだ抜けきっていない。もう次の日はない。来年に持ち越せるかどうかを、一発ずつ決めていく。玉を手に取り、ふって、音を聞く。年を越すごとに星は湿気を吸い、火付きが鈍る。乾いた玉は、ふると詰まった音がする。にぶい音のする玉は、来年の夏には咲かない。咲く玉と、咲かない玉とを、左右の箱に分けた。右の箱が、思ったより重くなっていった。
観客の何人かが、こう書いていた。「中止の判断が早すぎる」「あれくらいの風なら上げられた」。地上で旗がそよぐ程度の風でも、玉が開く三百メートルの上空では、別の強さで吹いている。そして風下の扇の中に客席が入った瞬間、それは「上げられた」の話ではなくなる。私が守っているのは、図の上で鉛筆がなぞった、あの弧の内側に、誰も立たせないことだ。
中止を決めた夜、筒場を片付けた。立てたままの筒を、一本ずつ寝かせていく。導火を外し、玉を抜き、覆いを畳む。打ち上がっていれば歓声が満ちていたはずの場所に、雨の音だけがしていた。一年かけて込めた星が、今年は一度も空を見ないまま、保管庫の闇へ帰っていく。
翌年の夏、左の箱の玉を上げた。一年遅れて、夜空に開いた。客は、それが去年の玉だとは知らない。今年の花火として歓声を上げ、帰っていく。誰も、その玉が一年、棚の奥で待っていたことを知らない。私は、去年の風向きと、湿度計の六十二と、雨の中に寝かせた筒の列を、その一発の向こうに読んでいた。右の箱の玉は、空を見なかった。