タチアラシユウト(39歳・球場のグラウンドキーパー17年)
朝、球場に着くといちばんに空を見る。十七年やっていると、雲の高さと色で、その日に水を撒くか撒かないか、シートを近くに寄せておくかが、なんとなく決まる。なんとなく、というのは正確ではないかもしれない。けれど私の読みは、スマートフォンの雨雲レーダーとよく食い違う。レーダーが青く塗っている時間に降らず、白いままの夕方に降る。どこの誰が、この数字を作っているのだろうと思っていた。
そのレーダーを、私はずいぶん信じていた。降水確率と、雲の動く矢印。けれど一度、確率三十パーセントの午後にシートを畳んでひどい目に遭ってから、自分の手の読みと、画面の数字を、別々のものとして並べて見るようになった。両方が同じことを言う日は安心して、食い違う日は空を二度見上げる。たぶん、どちらかが嘘をついているわけではないのだろうと思う。
その数字の出どころを、一度この目で見たいと思った。ちょうど球団が地域の防災研修の枠を持っていて、近くの気象台を見学できると聞いた。整備班から一人、という枠に、私は手を挙げた。同じ空を見上げて仕事をする者として、向こうがどう空を測っているのかを知りたかった。申し込みの紙に「グラウンド整備」と書くとき、少し誇らしかった。
気象台の裏手に、芝を張った一画があって、白い柵で囲ってあった。露場、というらしい。柵の中に、白い箱や、棒の立った計器が点々と置かれている。芝は短く刈られていた。私は柵の外から、整備の癖でその刈り高を見ていた。中に入ってはいけない場所だというのが、柵の高さからすぐ分かった。聖域だな、と思った。土と芝を守る私には、その囲い方の気持ちが、よく分かる気がした。
案内してくれたのはヒナタアズサさんという、観測補助の若い人だった。説明は百葉箱の話から始まると思っていたが、違った。ヒナタさんはまず温度計の高さを指した。地上から一・五メートル。人の顔のあたりで測ると決まっているのだという。雨量計は、口の直径が決まっていて、入った雨を細い枡で量って数える。当たり前のことを、なぜそう決めたかから話す人だった。
ひととおり聞いてから、私は職業の質問をした。「夕立の三十分前に、分かる方法はありますか」。仕事で何度も読み違えてきた、あの三十分のことだった。ヒナタさんは少し黙って、それから真顔になって、「正直、三十分前に確実に、とは言えません」と言った。レーダーに映る前の雲の芽は、まだ数字にならない。観測の側の人が、こんなに正直に限界を言うとは思わなかった。私はその真顔を、しばらく覚えていようと思った。
帰り際、互いの測り方の話を少しした。私は土の含水率を手で測る。握って、開いて、崩れ方で帯の真ん中を当てる。ヒナタさんは雨量を枡で数え、湿度を計器で読む。手で測る私と、数字で測るヒナタさん。どちらが上ということはなくて、勘も計器も、外れる日には外れるのだと、二人で淡々と話した。私の手も、ときどき嘘をつく。
それからときどき、台風が近づく前の晩に、私は気象台に電話をかけるようになった。公式の予報は誰でも見られる。私が訊くのはその外側、「このへんの雨、何時ごろがいちばん強いと思いますか」という、現場同士の声だ。ヒナタさんも、確実なことは言わない。けれど、画面の数字には乗らない言い方で、答えてくれる。受話器の向こうにも、空を見上げている人がいる。
あの見学から、グラウンドで空を見上げる私の目は、少しだけ変わった。前は雲を、降るか降らないかだけで見ていた。いまは、その雲がまだ数字になっていない芽なのか、もう誰かの枡に入った雨なのかを、考えるようになった。同じ空を、二つの場所から測っている。私の解像度が変わったのだ。今日も試合前に、私は空を見上げ、それから土を握る。
——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。