土の、通信簿
グラウンドキーパー一年目、気づかれない満点を知るまで

タチアラシユウト(39歳・球場のグラウンドキーパー17年)

グラウンドの整備という仕事を、十七年続けている。トンボとローラー、ホースとシート、目土を入れる箱。道具はどれも単純で、覚えることはそう多くないように見える。けれど、土がいつ「ちょうどいい」のかを手の裏で言い当てられるようになるまでに、何年もかかった。固すぎず、柔らかすぎず。その細い帯の上に、選手の足は乗る。

整備会社に入ったのは二〇〇九年、二十二歳のときだ。プロ野球も使う球場の、内野の土と、外野の芝と、雨のときのシートを受け持つ会社だった。初日に先輩から言われたのは、技術の話ではなかった。「グラウンドは誰も褒めない。イレギュラーが出たときだけ気づかれる。気づかれないのが満点だ」。聖地を守るんだという誇りを胸に、私は頷いた。

内野の土は、ただの土ではない。黒土と砂を配合して作る。黒土は粘って球を止め、砂は水を抜く。産地の違う土をブレンドして、その球場のための一種類を設計する。雨の多い土地なら砂を増やし、風の強い土地なら黒土を効かせる。レシピは球場ごとに違っていて、それぞれに歴史があるのだと思う。

含水率、という言葉を最初に教わったとき、機械で測るのかと思った。違った。先輩はしゃがんで、土をひとつかみ握り、開いた。握って固まり、指でつつくとほろりと崩れる。「これが帯の真ん中だ」。私は同じように握った。固まらなかった。乾きすぎていた。何度も握って、開いて、握って、開いた。手のひらの記憶でしか測れないものが、この仕事の真ん中にあった。

芝にも暦がある。刈り高は季節と品種で変える。夏の高麗芝は短く刈り込み、冬に向けては伸ばして守る。傷んだところには目土を入れ、年に一度は更新作業で根を切って空気を入れる。芝は生きているから、整備というより世話に近い。枯らさないことと、美しく見せることは、いつも少しだけ喧嘩していた。

雨の日は戦争だった。空が崩れる気配がすると、巨大なシートを抱えて全力で走る。十数人で端を持ち、内野を覆う。一秒の遅れが水たまりを作る。雨が上がれば、水を吸い取り、おがくずを撒いて、また土を作り直す。試合を止めないために走るその数分は、観客にも映るけれど、誰も整備の中身までは見ていなかったように思う。

五回裏の整備というものがある。グラウンド整備員が横一列の隊列を組み、トンボを引いて内野をならす。数分間。観客の目の前で行う、たった一度の見せ場のような時間だ。私は隊列の端を任された日、足がもつれそうになった。ならしているのは土なのに、ならされているのは自分のほうのような気がした。

選手は、土の出来を言葉にしない。たいていは何も言わない。ただ一度、ベテランの内野手が守備位置でつま先を二度こすって、「今日は重いね」と通りすがりに言ったことがあった。重い。前夜の雨で、私が砂を足りなく見積もった日だった。私は答えられなかった。その夜、スパイクの跡をひとつずつ見て回った。跡の深さが、その日の土の通信簿だった。

あれから十七年。私はとうとう、気づかれない満点の観察者になった。誰も褒めない仕事を続けてこられたのは、あの初日の一言があったからだと思う。気づかれない満点が、俺をいまの俺にしてくれた。今日も試合前、私は土を握る。固まって、ほろりと崩れる。誰の記憶にも残らない、その帯の真ん中を、私は静かに守り続けている。

——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。

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このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。