タチバナコウヘイ(41歳・水道検針員18年)
二か月に一度、家々の足元の蓋を開ける。ドライバーの先で溝の泥を払い、鉄蓋に指をかけて持ち上げる。八桁のうち、黒い五桁を端末に打つ。赤い三桁は端数だから読まない。前回の控えと一の位が飛んでいないかだけ確かめて、蓋を閉じる。十八年、玄関のチャイムは一度も鳴らしていない。私が見るのは、家の足元だけだ。
指針の脇に、銀色の羽根車がある。パイロットと呼ぶ。水がわずかでも流れていれば回る。蛇口を全部閉めても回っているなら、どこかで漏れている。漏れが大きければ羽根は速く、床下のにじむような漏れなら、止まっているかと見まごうほど、思い出したように一目盛りずつ動く。
二〇〇八年、二十三歳、一年目だった。順路の途中の古い一軒家。蓋を開けると、その一目盛りずつの動き方で、羽根が回っていた。腕時計で計った。一周に四十秒ほど。家に人の気配はなく、昼で、誰も水を使っていないはずだった。それでも羽根は、思い出したように回り続けていた。
一年目の私には、家の中の蛇口が閉まっているかどうか、自分では確かめようがなかった。指針を控えて十分置き、もう一度蓋を開けた。羽根は同じ速さで回っていた。先輩に無線を入れると、「家の人がいないなら床下だ、通知でいい」と返ってきた。手が震えていたわけではない。ただ、見えない床下の話を私が決めてしまっていいのか、と思った。
かばんから通知票の複写を出した。「漏水の疑いがあります」。チェック欄に印をつけ、メーター番号と、確認した時刻を二度分書き写し、ポストに入れた。一年目が初めて入れた一票だった。この家の人がいつか帰って、これを読み、床下を覗く。それは私のいないところで起こる。
私はその家の中を、いまも知らない。誰が住んでいたのかも知らない。知っているのは、あの昼、床下で水が漏れていたことだけだ。家の中は知らないのに、床下の異常だけを知っている。検針という仕事は、ずっとこの一点でできている。
十八年で、数字の落差をいくつも見た。ある家は、先々月まで二か月で二十四 m³ あった使用量が、次の検針で十一 m³ になっていた。ちょうど半分。別の家は、八 m³ だったのが、ある月から十九 m³ に増えた。倍以上。差は端末が引き算して出す。半分が何で、倍が何かは、引き算には出ない。私は控えに数字を書き、玄関を叩かずに蓋を閉じる。順路には毎回同じ家の前で吠える犬がいて、私はその犬の前も、同じ顔で通り過ぎる。
あの家の羽根を計った四十秒を、私はまだ覚えている。十八年、何万件の数字を打って、ほとんど忘れた。覚えているのは、見ないと決めた家のほうだ。